<< 結婚論 丸の内サディスティック >>

アリtoキリギリス

おはようございます。朝早くから情報棟にて更新中です。ネットの復旧は今週末になるそうです、昨日電話したら。めっちゃ鼻であしらったような対応されました。「金払ってないアンタが悪いんでしょ」的な・・・こう感じたのは自分の被害妄想からでしょうか?いや、そうでないはず!(笑)

先日「四季・布由子」を読み終えました。高校の頃以来だから、2~3年ぶり、といったところでしょうか。前回とはかなり違った感想を持ちました☆以前読んだときは、正直「こんな女の人は・・・ないなぁ」なんて思う自分がいたんだよね。それは女性になれていない自分がいた、ってのもあるし、自分の見識が浅かった、ってのもあると思う。まぁ、今もたいしたことないですが・・・(笑)だけどこの2~3年間の間に、自分もそれなりの経験を積んできたわけだし、その間にもしかしたら価値観がグルリと方向転換してしまったのかもしれません。だからここに出てくる4人の主人公(波留子・奈津子・亜紀子・布由子の4姉妹)それぞれの価値観を理解できるようになってきたわけです。

その価値観について触れるのは、また後日ということで(かなりジェンダー的なものがあると思われ)、僕が一番印象に残ったのは布由子がCMの撮影でミラノに行ったときに食事をするときのシーン。
その中で日本をはじめ、世界でなぜ”イタリア的なもの”が受け入れられるのか、について議論を交わす場面があるんです。僕は全くイタリアに興味がないんだけど(今はアジアですよ)、イタリア的なものとは”キリギリスの美学”ではないか?と言うんです。よく考えると納得がいくんですよね。例えば自動車で比較してみても、アルファ・ロメオやフェラーリはとても華やかで人気があるけれど、1年のほとんどを車庫で過ごすといいます。要するにそれほど故障しやすいってこと。だけどドイツのBMWやスウェーデンのボルボなんかは、10年以上乗り回す人も少なくない。でもフェラーリのような華やかさは持っていない。どちらかと言うと、「武骨」という言葉が似合うのではなかろうか・・・?確かに自動車を使う側として、1年の半分以上を修理に出すような車ははっきり言って使い物にはなりません。けれど、人間は他の機械と違ったものを自動車に求めているような気もするんです。だからGTRで真夜中の首都高を走る走り屋(岡部の未来像・・・?)もいる。人は自動車に対して生活の道具として使うこと以外の何かを求めているのでしょう。それをイタリア車は持っている・・・おそらく、何を第一義に考えるか、ってことなんだと思います。華やかさなのか?それとも耐久性なのか・・・イタリアの精神はまずそこに華やかさを求めたのだと。

そこが”イタリア的”なものであり、”キリギリスの美学”といってるんだと思います。それを人生に当てはめて。もちろん、”アリの美学”を否定しているわけじゃないけれど、ずっとコツコツと働いていることだけが人間ではない。そんな堅実な人生には魅力を感じない、ってわけです。ならば短い人生でも、美しく燃える人生の方がいいじゃないか、ってのがキリギリスの美学。”細く長く”よりも”太く短く”生きるってことなのかもしれません。

今は”キリギリスの美学”のような生き方に惹かれる自分がいます。特に堅実な生活を送ろうという考えはないし、そんなに人生甘いものでもないと思う。ならば自分が好きなことをやろうじゃないか、と。その日1日を光り輝くように生きたいんです、うん。
”アリの美学”ってのはどことなく日本的な感じがします。そこに物足りなさを感じてしまう自分も、それはそれで問題なのかも・・・(苦笑)

あなたはアリ派?キリギリス派?
[PR]
by rinnken1228 | 2005-09-27 09:21 | は○しケンイチ的こころ
<< 結婚論 丸の内サディスティック >>