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汚れちまった悲しみはなにのぞむなくねがうなく

こんばんはです。先日の祇園囃子の記事になぜ”古都ひかる”のTBが・・・?まさか「古都→古都ひかる」?おいおい、勘弁してくださいよ。(笑)別にAVについては何も書いておりません。しかも古都ひかるあんま好きじゃないし・・・

今回のタイトルは中原中也、山羊の歌の一節。さてさて、外はすっかり秋めいてまいりましたねぇ。秋といえば、秋桜でございます。秋桜といえば、山口百恵ですか・・・山口百恵といったら、「赤い」シリーズと・・・今夜から赤い運命が始まりますねぇ。綾瀬はるかが主演らしい。綾瀬はるかと長澤まさみの区別がつかんとです。てなわけで、綾瀬はるかも好き☆そういや、水原秋桜子なーんて俳人もいましたっけ。「葛飾や―」の句しか知らないけれど。
ちなみに僕の実家も平成の大合併で市名を「コスモス市」に改名する、って話が出てましたねぇ。(笑)あの時は印西と成田と富里、白井、栄、印旛村、本埜村あたりが候補に挙がってましたっけ。あんま詳しく覚えてませんが。結局この話って、おじゃんになったんだよね?それにしても、コスモス市とかなったら、どうなってたんだろう、あの町は・・・?(汗)

そして・・・秋といえば、やはり紅葉ですねぇ。間違っても山村紅葉→2時間ドラマの女王っていう連想ゲームをする気はありません。ふつうの紅葉です。誰もそんなこと考えないって?確かに・・・
桜や梅といった、春の花見を楽しむ習慣を持つ民族はたくさんあるらしいのですが。紅葉を楽しむ民族ってのは世界を探してもそういないそうです。理由はわからないけれども。何の根拠もないけれど、そういうところからも日本人がいかに四季の変化に敏感であるかを知ることができるように感じます。日本は春夏秋冬の変化がハッキリしているからかもしれませんが。乾季と雨季しかない地域に比べれば、そういう感性が磨かれるのは言うまでもないわけで・・・そういう地域ではその地域特有の季節の変化を楽しめるのでしょうが・・・だけど僕は日本のような変化が好き。このような変化から俳句という美しい詩が生まれたのだと思うし。

まぁ、それた話を戻して紅葉の話に・・・僕は紅葉のピークの季節があまり好きではありません。紅葉を観ることは嫌いではないのだけども。どちらかというと、紅葉のピークも過ぎた頃、冬に足を踏み入れた頃が好きなのです。変わり者ですが。(笑)
紅葉であれ、満開の桜であれ、僕にはどこか彼らが散り行く前にどこか自分の生きた証を見せ付けているように感じてならないんです。そして僕はそれを人間にも当てはめてしまう・・・それが地位であり、名誉であり、金であり、権力であり、そして美しさ・・・だから人々は桜にそして紅葉に魅せられてそこへ集まるんじゃないでしょうか。

けれど僕はそこにどことなく無力感、というよりも無常感を抱いてしまうんですよね、そういう華やかさには。うまく言葉では表せないのだけども。そこがもどかしくもあるのですが・・・結局は人も彼らも散りゆく存在。だから彼らのそんな姿を見て、妙に切なくなってしまうわけ。
むしろ紅葉も盛りを過ぎた頃が僕は好きです。過去の栄華を失ってしまったそんな不思議な雰囲気に僕は惹かれるのかもしれない。何もかもを受け容れてくれるような、そんな不思議な色気に。そんな姿にもどこか趣があると思います。こんなことを言う僕は、もう若者ではないのでしょうか・・・どうやら僕に競争は似合わないらしい。(苦笑)どっかの山奥で遁世するのが似合うらしい。

去年の冬に京都を訪ねたとき、地元の方からも同じようなことを言われたことを覚えています。確か法然院のお坊さんだったか。ちなみに東福寺の紅葉はとても美しいそうで。通天橋のもみじ。また今年の冬、訪ねることにします。嵯峨野の方へも足を運んでみますかね。
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by rinnken1228 | 2005-10-04 21:38 | は○しケンイチ的こころ
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