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ジャーナリズムとは野次馬主義である

うーん、われながらいいネーミングだと思いますた。(笑)

朝日新聞が”ジャーナリスト宣言”なるものを出しましたね。個人的にはあのCM、嫌いではないのですが…よりによってなぜ朝日?って疑問がないわけではないけどね。


以前、ホリエモンのメールについての記事を書いたときだったか・・・ジャーナリストのスタンスについて書いたことがあります。そこでジャーナリストの仕事の1つに社会的に知られていないことを調査し、それを周りに知らせると書いた気がします・・・
その一方で、ジャーナリストは現実に起こっていることをキャッチして、それを批評しなければならない。現実に起きていること=社会の流れであるわけだから、得てしてそれは権力者への批判となるわけですが。


現実に起きていることをキャッチすること、それは野次馬のウリであるはず。野次馬は世間で起きていることに群がる傾向がありますから。だってさ、絶対に火事が起きたらそこに火の見見物とか集まるでしょ?まるで夜の蛾のように・・・
そしてその野次馬達は、そこで起きたことを周りに伝える。要するに批評をするわけだ。誰だってそれを伝える中でスキャンダリズムとセンセーショナリズムを組み込んでしまうわけで。主観が入ってしまったり、話を大きくして伝えようとしてしまう。それは防ぎようのないことであるわけで。ある程度の範囲であれば、いたしかたのないこと。ただし、その情報から情報の受け手がどのように考えるか・・・という配慮は十分に必要なわけで。そうでないと戦前の日本やヒトラーと変わらなくなってしまうわけだから。


ホリエモンが逮捕された際に、小泉首相はこう言った。「ホリエモンを持ち上げて大騒ぎしたマスコミの責任はどうなんだ?」と。それについて天野祐吉はこう返す。「政治家とジャーナリストの仕事は違うんだ」と・・・
確かに、それは間違っていることではないとは思う。正しい、それは間違いない。

しかし・・・だ。その考え方には1つ大きな間違いがあるわけで。それは何か?ジャーナリストとしての責任がないこと。ジャーナリスト本人の言動には責任が存在する、その意識がこの反論からは全く感じないのだ。それがジャーナリストと野次馬のただ1つの、そして最も大きな違い・・・なのだ。


そのような意識と自覚を持っているジャーナリストが、今どれだけいるのか?そのような感覚を日常的に持ち合わせているジャーナリストがどれだけいるのか?それを一度考え直す必要があるのではないだろうか?
by rinnken1228 | 2006-03-21 17:03 | は○しケンイチ的こころ
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