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キリギリスの美学

みなさんこんにちは。
石井正則です。


だいぶ体調も戻ってきました。一部の方々には多大なご迷惑をかけたようでして・・・本当に申し訳ない、の一言です。なんだか最近迷惑かけっぱなしですね・・・

民主党のメール問題で、由美かおると全国漫遊したいとかぬかしてたおっさんが大活躍だそうですね。別に興味ないですけど。会津出身だそうで、武士道精神が彼の中には根付いているとかいないとか。白虎隊にでも入りたかったのでしょうか?どーでもいいですけどね。

民主党が崩れる時には飯盛山辺りで腹でも掻っ切ってくれるのか、なんて思う今日この頃、いかがおすごしでしょうか?ダスティンホフマンにはなれなかったよ、はやしです。


そういえば・・・ここんとこカテキョの派遣の方からよく電話が来るとです。基本的に完全シカトですが。(笑)「このままだと給料入らないよ?」よく言われます。自分が貰おうとしない理由はただ1つ、

自分が納得行く仕事はしてないから。

契約の際に言ったはず。自分が納得いかなかったらお金はもらわない、って・・・
別にカッコつけたいわけじゃないんです。そう思うなら、そう思ってくれて結構ですが。自分だってお金ないんだし。1万ナンボでも貰えるならば、貰ったほうが楽に決まってるよ。
けれど・・・それは自分の中では妥協。結果的に第一志望には受かったけれど、それは2次試験で受かっただけ。1次試験で受からなかったのは、自分の力が足りなかったから。それに他ならないわけで。だからお金は貰わないのです。バイトでもなんでも、自分は仕事には真剣に向き合いたい。そうでないと、お金を払ってる方々に申し訳がたたぬ。
教育産業とは、殿様商売でなければいけない反面、サービス業でもある。サービス業ならば消費者にはそれなりの見返りがなければならない。その見返りを十分に与えられなかった。だから自分も貰う権利は無いのです。それは市場社会の当然の原理だべ?

それに、個人的に相手方からいろいろ貰っちゃったしね・・・(笑)



さて。前置きがそーとー長くなっちゃいましたが。
今日はキリギリスの美学について考えてみたいと思います☆

最近、イタリアが熱い!
んだそうで。

なんでか知りませんがね。トリノ五輪の影響なのか、それともナポリの陽気なピザ職人にでもなりたがっている人間が多いからなのか・・・そんなのは知りません。社会学的見地から1600字以内で述べよ、とか言われても書けませんよ、そんなん。

まぁ、それにしてもチョイ悪オヤジなんてのが巷では大流行なようで。

イタリアの種馬だかなんだかしらねーが、やれるもんなら日本中に子種液でも飛び散らせてみろよ!

とか、またまたドン引きされるようなことを書きたくなってもみるわけで。


それにしても、なぜイタリアの何が魅力的なのでしょうか?
僕はイタリアの文化の精神性のような気がします。もちろん、ステレオタイプに他なりませんが・・・

地味で質素なものを重んじる(というよりも、受け入れる)日本に対して、イタリアでは派手なものを好むような気がします。派手=刹那的というリンクはすぐに想像ができるわけで。つまり派手なものを好むイタリア人は、今この生きている環境を重要視する。もちろん、先のことを考えていないわけではないけれど、今に対するウェイトが非常に重い。それは彼らの歴史に根付くものも多いのでしょうが・・・自分は世界史についての知識はほぼゼロだからよくわからないけれど、中世のイタリアは戦乱に明け暮れて所有地が変わることも多かった。それは貴族も平民も。日本に比べてもその比率は高かった。それが結果的にそうなったのでしょう。

それがキリギリスの美学なんだと思う。
今を生きることに重点を置く。誰もが先行きの見えない世の中、と言うような状況の中で(自分はあまりそう思わないけど・・・)、今を生きることにウェイトを置きたいのでしょう。それがイタリアだった。


命短し、恋せよ乙女

なんて言葉がある。別に自分はですけど。
恋、してますけど。


どうせ短い人生なんだから、パーッとやってしまおう、今を楽しもう、という思いが根底にはあるのかもしれない。けれど、この感覚の裏側にはとてつもない不安と無常観が潜んでいるように思えて仕方ないのです。何かに怯えるような、そんな感覚が・・・


キリギリスの美学・・・
アリの美学とは対照的な、華やかに散る美学。けれど、この美学こそ憂いを帯びたセピア色の美学に思えてならないのです。
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by rinnken1228 | 2006-03-26 14:49 | は○しケンイチ的こころ
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