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人が人らしく死ぬために・・・

みなさんこんばんみ。

さっきまでスマスマ観てました。ビストロに黒田知永子が出てたんだけど、あの人ってどっかで見たことあるな~とか思ったら、W塾のイメージキャラクターやった。そんな金がどこから出るんだか・・・まったくもう。

それにしても44歳であんなプロポーション保ってる、ってのは本当にすごいですよね・・・
僕もあんなお方と結婚したいとか思ってしまう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?それでもやっぱり結婚願望はナシ、はやしです。


さてさて。昨日の夜はとある送別会がありました。W塾のPIOI卒業生の送別会@渋谷。ちょー、久々の渋谷ですわ。(笑)飲みに飲んだり、瓶ビール2ケタ!
ほぼ全校舎の人間が集まったから、総勢40人以上といったとこでしょうか?自分はこれから池袋校のリーダーになっていくわけだから、こういうところにも積極的に出ていかなきゃなんだろうな。リクルーティングのこともあるし。それに自分が幹部学年の間にやろうと思ってる、”OIの規約”作りをする上では、校舎同士の横のつながりも求められるからなぁ。頑張らナイト☆

それにしても・・・四谷校のPIかわいくね?あれはやべぇ、ホントに。


なんだか”尊厳死”が世間を賑わしているとかいないとか。いや、という永遠のテーマがたまたま話題に上っているだけなのかも知れぬ。「人が人らしく死ぬ」という最も明解だが、最も難しい問題が今認識されているのだと思います。

しかし・・・だ。”尊厳死”を否定した場合、それは”死刑”をも否定しているようなものだ、と僕は思うのです。なぜか?人は法の下に平等だから。法律の前では人は全て同じなわけです。もちろん、法的には人の値段は出せるらしいが。
しかし・・・どんなに偉い政治家だって、凶悪な犯罪者だって、身体に障害を持っている人だって、法律上の定義では同じなのです。平等は無謀である、などという議論は抜きにして。

尊厳死であれ、死刑であれ、他者から死を決定されることには変わりない。なのになぜ尊厳死は問題視され、死刑は問題視されない?いや、問題にはなるけれど、廃止しようという動きは一向に見られない。政府レベルではね。今回も麻原の死刑がほぼ確定した。けれど、これを咎める声はほとんど聞こえない。

明らかに一方的な感情ではないか。


人には人らしく死ぬ権利がある。けれど僕は尊厳死も死刑も否定するつもりは無い。人として死ぬ権利を有する以上、人として生きる義務があるのだ、人間には。少なくとも死刑になるような人間には、そのような義務を全うしたとは思えない。そして、尊厳死の場合も同じ。死を前にして苦しむ姿は、人らしく生きるという義務を全うしているとは到底言えないでしょう。そして、そのような彼らを強制的に延命させる権利も我々は有しない。人は人らしく生きる権利がある。ならばその人生の終え方も自由であろう。

どっかのコメンテータがアホなことぬかしてた。「しっかり話し合うことが重要」

バカかオマエは。話し合ってる時間も患者は苦しんでいるんだ。明らかに患者を見ていないじゃないか。終末期医療について深く考え直す必要があるのかもしれません。
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by rinnken1228 | 2006-03-28 00:15 | は○しケンイチ的こころ
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