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国立マンション訴訟

あら、昨日大学通りの歩道橋の上で取材してたのって、特ダネだったんすね~。別にどうでもいいけど。

景観利益なる、耳慣れない言葉が出てきたけれど、それが今回の裁判のキーワードになったそう。
要するに景観権をどこまで許容するか、ってことが争点になったようで。

確かに都市の景観、っていう直接人間の生産活動・経済活動と関係のない文化的な面に目が行くのは、この国が経済的に成熟してきている証拠なのだとも思います。文化的なものを争えるようになってきた、それは日本の社会に幅が出てきたことなのです。そう僕は思います。


しかし・・・だ。
この判決は景観権と財産権を秤にかけた上でのものだったのだと思います。どちらが重い権利なのか?ってこと。確かに、我々には必要最低限の幸福を追求する、幸福追求権を有する。この景観権もそれに属するのでしょう。良好な生活環境を求める権利は全ての日本国民が持っているのです。それはマンションの近隣住民もマンションの住民も

けれど、新しい権利を作りすぎではないでしょうか?今回の景観権にせよプライバシーの権利にせよ、その対を成す知る権利にせよ。それは精神生活に幅が広がった、と言えばそれまでなのですが・・・

新しい権利を、そのような概念を供出すること事体は悪いことではない。けれどそれは、人間生活の、経済活動における根本をなす権利概念ではないのです。なぜならそれは、文化的なもの・精神的なものであるから。あくまでもそれは2次的なものとして捉えなければならぬのです。
けれど、今はその2次的な権利に目が行き過ぎているのです。世間一般ではね。


だから最高裁が財産権を選択したことは全くもって当然のことなわけで。いやむしろ、そうでなければならなかった。今はもう、あのマンションには沢山の人が住んでいる。近隣住民が勝訴すること=マンション住民の財産権を奪うことにつながるわけです。財産権は人間生活の中核をなす権利であることは明白。財産権よりも景観権が大事、などと言ったなら、それは人の生きる権利を奪うことと大差ないのです。まぁ、複雑なこととは思いますがね・・・


その一方で、景観権について触れ(否定はしたけれど)、景観利益について法的保護の対象であると最高裁が判断したのはとても画期的なことなんだなと思います。経済的に円熟期に達しているのだから、今度は精神的に成熟せねばならぬのです。それを法的に言及する必要があるのかもしれませんね。もちろん、それは2次的なものであれ。

これから都市開発とかまちづくりとか、いろいろ変わってくるんですかね・・・?自分の興味ある分野だけに、なんだか面白そうだ!
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by rinnken1228 | 2006-03-31 08:56 | は○しケンイチ的こころ
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