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近代とは、コントロール手段である

みなさんこんにちは。
先ほど部活から帰ってまいりました。明日はリーグの入れ替え戦・・・


外は雨ですね。午前中はこれでもかと言うくらい晴れていたのですが。
急に雲行きが怪しくなり・・・土砂降り。

土砂降りの雨の中を傘もささずに走っていくような、真島大先生ほどの器のでかさを僕は持ち合わせていないので、
某ボクシング部の傘をさして、チャリンコで疾走
していたわけですが。

ええ、いつか返しますよ。いつか・・・


さて。昨日はめざまし体操の撮影だったわけですが。
いまだに足が痛いです。足腰の強さが、60代です。
もうこの先長くないんだろうなぁ、などとノスタルジックな感慨に浸る今日この頃。

ちなみに・・・愛ちゃんのファンデーションはシャネルです、はやしです。
これくらい暴露しても問題ないんじゃないですかね?あの美しさは・・・大人気ないね。


この頃、雨が降り続いているわけですが。
そのせいで、洗濯物を部屋で干す機会が多くなってくるわけで。

しかしね、残念なことに部屋干しできるような場所が無いんですよ、うちには。
で。
風呂場とかに干しちゃうわけですよ、換気扇の壊れた風呂場に。
ま、乾くはずがないんですけどね。でもやっぱり、悪あがきってしてみたいじゃないですか。無謀な挑戦に美徳を見出すのが、日本人の美意識なわけで。いやしらないけれど。

で、やってみたわけです。
部屋干しトップを使って

・・・予想通りの結果ですよ。しかもかび臭いし。
散々ですよ、ええ。



それでは、後半は開発の援助の話でも。



ようこそ後半へ。

まぁ、久々にはマジメな話もしないと、気がすまないわけでして。

今学期、地域研究(アジア・アフリカ)なる授業を受講しているわけで。
毎回、誰かしらに代返を頼むという、ヤル気のなさ。

で。このまえ初めて出たわけですよ。そしたら意外と面白かったわけで。
なんだか、NGOに勤務している人だとか、そうでないとか・・・まぁ、大学の専任の先生ではないらしく。


日本とアジア・アフリカの関係を考える上で、やはり開発援助という言葉と切り離して考えることはできないわけで。

実際に日本のODAもかなりこれらの地域に投入されているわけですから。


さて。それでは開発とは何か、と考えてみましょうか・・・?
土木工事などの開発援助をとっても、その国家の制度を変えるための援助をとっても、その底流には近代化というキーワードが流れているのだと思うのです。

ダムを作ることによって、電気を引く=近代化
これまでの部族社会から、民主主義を導入した政府作りをする=近代化
単純ではありますが、そんな図式は成り立つわけで。

要するに、その国を近代化するために、開発を援助するわけです。国も、そしてNGOなんかも。


さて。それではその国を・その地域を、近代化をするための開発を行う必要性があるのでしょうか?
確かに。「近代的な」国家になることが、国際社会で発言権を持つための第一前提ではあります。その国にとって、それが最重要課題なのであれば話は別でしょうが。


しかし、本当に「近代的な」システムの下にその国を組み込むことが必要なのでしょうか?
国家の制度、で考えてみましょうか。


例えば医療制度を考えてみるとしましょう。近代的な医療制度としてまず挙げられるのは、国民保険でしょう。
これは「医療=健康」の名の下に国民を統合している結果。要するに、国家が「健康」というツールをもって国民をコントロールしているわけです。
学校制度だってそう。義務教育などの教育制度は、「知力を育てる」というツールによって国民をコントロールしている、などと考えることはできないでしょうか?

これまでのムラ・部族の社会が、これらによって国家のコントロールの元におかれていく。果たしてそれが、最善の方法なのでしょうか?それに対するオルタナティブな可能性のほうが大きいような気がするのです。

ま、そんなイリイチ的な考えをしてみた今日この頃でしたとさ。
ま、そんなもんだ。
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by rinnken1228 | 2006-05-20 18:23 | は○しケンイチ的こころ
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