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模写から生まれるオーラの泉

みなさまこんばんは。
ただ今、堂本兄弟みております。


秋田の事件、一応の決着が着きそうだとかそうでないとか。
でもね、なんだか後味の悪いものですよね。
地元の人にとってはもちろん、それを情報として得る方にとっても。

けれど・・・自分の子供を殺す、という感覚がまったくもってわかりません。
そりゃあさ、産まれた子供が障害を持ってて・・・なんてのだったらわかるけれど。
自分のお腹を痛めてまで産んだ子に、愛着は持てないのでしょうか?

まぁ、やっぱりさっぱり、わけわかめです。


最近の流行語は「わけわかめ」、はやしです。いかがおすごしでしょうか?



さて。
今日中にゼミのプレゼンの資料&社会調査法のレポートを仕上げます。
資料全部集めたので大丈夫、大丈夫☆
社会思想史のレポート?ノートが無いのでできませんよ、ええ。

誰か・・・情報下さい・・・
結構切実です。


で。
今日は結局丸1日図書館にこもっていたわけですよ。
社会調査法の資料を読んでたわけですよ。
新聞のバックナンバーとか読んでたわけですよ。
僕の担当は、1965年10月・・・

うーん。東京オリンピックがあった翌年ですね。
佐藤栄作とか首相やってた時代ですね。
LT貿易とか書いてて・・・なんだか懐かしかったです。
で、LT貿易って何だっけ?

なんかね、記事の書き方とかも今と全然違ってて、時代の違いも感じました。
幸田文とか、武者小路実篤なんてのがコラムを書いていたり・・・
なんだか不思議な感覚でしたとさ。


さて。
昨日の夜、ついに路上デビューしたわけで。
何でですか?ピンポイントで雨降るなんて。
夜で視界が悪い上に雨が降るなんて・・・もう、踏んだり蹴ったりですよ。
そんなに雨男でしたっけ、僕?

まぁ、何とかなりましたがね。
けれど・・・緊張しましたよぉ。


それでは後半は・・・作品の持つアウラについて。




ようこそ後半へ。

今朝の朝刊に、某洋画家の盗作疑惑が載っていたわけですが。
「盗作も問題だが、作品自身の持つアウラに審査員は気付かなかったのか?」といった趣旨の記事。

アウラ、と言う概念は、ベンヤミンが提唱した概念なわけで。
自分の記憶が正しければ、「複製技術時代の芸術作品」って本で述べられていたような気がしますが。
複製技術によって、その作品の持つ一回性が失われてしまった・・・というわけ。まぁ、今となっては普通のことを言っているわけですが。

その一方で・・・複製技術によってアウラが生成されることもある、とも説いているわけでして。

ダ・ヴィンチのモナリザで考えれば・・・
モナリザの微笑みは複製技術時代以前の神聖さ・悲しみは今は欠けているわけで。そりゃ、今でもあるけれど。以前ほどではない。
けれど。その代わりモナリザはダ・ヴィンチの代名詞へと変わっていったわけで。
それがひとつの作品の持つアウラへと変わっていったわけで。


さて。
確かに。今は模写の技術もどんどんと向上しているのは事実なわけでして。
それが絵画の修復にも用いられているわけで。
例えば・・・明日香村の高松塚古墳の修復とか・・・ね。今、色々と問題になってるけれど。
実際に模写はひとつの学術分野として成り立っているわけで。

しかし・・・
模写そのものがアウラを持ってしまう可能性があると思うのです。
要は、贋作そのものが価値を持ってしまう可能性があるわけで。


仮に他の作品から題材を得た作品を作ったとしても、その作品そのものが持つ雰囲気を評価すべきだと思うのです。
盗作疑惑が持ち上がったその前に、その作品を評価したわけですから・・・

なんだかね、盗作だから受賞取り消しとか、ちょっと間違っていると思う。


ま、芸術のげの字もわからない男の独り言でしたとさ。
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by rinnken1228 | 2006-06-05 01:15 | は○しケンイチ的こころ
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