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金色のアーチから見張られて・・・

みなさまこんばんは。


朝から頭痛がひどかったので、今日は1日中爆睡・・・zzz...
目が覚めたのは、タブロイドの再放送が終わる頃でして・・・
昨日のせいでしょう。別に飲みすぎたわけではないんですがね。(汗

昨日は部活の同期会@共和国。
ビール2杯目くらいから結構やばくて・・・眠さMAXでした・・・orz...
最近、本当に酒が弱くなってきています。年のせいでしょうか??

共和国出てからは、部室で2次会。
酒飲みながらビデオ鑑賞。・・・といっても、三商のビデオですけどね。(笑
もっぱら僕は寝てましたがね。


そういえば、毎日就職ナビなるところから、就活ガイドが届きました。
もう、みんな就活の準備とかしてるんでしょうか?
やってるんだろうね。ある人はインターンをやったり、ある人は企業研究をやってみたり・・・
ま、自分は何もしてないですけどね。

・・・なんて、自慢できるわけでもないんですがね。
そろそろ自己分析を始めないとな。
今度、父親の知り合いの方と食事に行ってきます。
それなりの企業のお偉いさんらしい。九電だったか。別に九州戻ってもいいしなぁ・・・
自分は大企業に入れるだけでも贅沢なんだから、高望みしちゃまずいなぁ・・・

それなりの大学に今は行かせてもらっているけれど、これからはそんなのは関係のない時代が来る。
その間に何をした、ってはっきり言えるようなことをしなければ・・・
けれど、自分は1つの企業でずーっとやっていくようなタイプでは無いのかもしれん。
企業入って、どこかの大学院に入って、研究者になるのもいいかも。
研究職は憧れるなぁ。あ、出すぎた話ですかね。(笑


どうでもいい話だけれど、堀北真希がかわいい。
3月9日のプロモに出てますねぇ。
3月9日つながりで、1リットルの涙のMVがあったとです。
沢尻エリカかわいいね。ありゃ、犯罪ですわ・・・
そりゃあ、最後まで守りますよ。
それにしても、SALAのCMは癒されるねぇ・・・


さて、後半はマクドナルド化にみるオリンピックについてでも。



ようこそ後半へ。

東京と福岡のオリンピック誘致合戦、ひとまずは東京に軍配が上がったそうですね。
まぁ、これから世界と渡り合わなきゃなわけで、色々と難しいこともあると思いますが・・・
さてどうなることやら。個人的には福岡に選ばれてほしかったんですがね。
環境的には福岡の方が上でしょう、断然。

話は変わりますが、ジョージ・リッツァの「マクドナルド化する社会」を読みました。
いや、正確にはもう少しで読み終わるのですが・・・orz...


マクドナルド化理論とは、マックス・ウェーバーの合理化理論を現代風にアレンジしたものなわけで。
ウェーバーは合理化のモデルを官僚機構に求めたけれど、リッツァはそのモデルをマクドナルドに求めたわけで。
だから、基本的な根幹となるものは変わらない。

マクドナルド化の合理化には4つの側面があるそうで。
それは効率性・計算可能性・予測可能性・非人間的システムによる人間の管理の4点・・・
それはマクドナルドのみならず、他にも当てはまるものはたくさんあって。
例えばコンビニなんかもそのいい例かと・・・

ジャンル別に商品を陳列することで、客にとっても店側にとっても商品の管理が容易になることは、効率性の最たる例。
また、列をなして並べることで、商品の計算を可能にするのは計算可能性。それに伴い、予測も簡単になる。
レジに並ぶことは、暗に非人間的システムによる人間の管理でもあるわけで。


さて、話を戻しまして。
オリンピックにもマクドナルド化の影響は否定できないわけで。

今回の東京の誘致のコンセプトは、「コンパクトなオリンピック」。
コンパクトとは言葉は良いものの、詰まるところ合理化とほぼニアリーイコールなのです。

例えばマラソンコースを取り上げてみましょうか。
マラソンコースを都心に設定することによって、都内の観光名所を回れるというのが、メリットとして取り上げられていました。
もちろん、それは間違っているとは言いません。無茶な面は多いですが。(笑

しかし、そこにはかなりの合理的な部分が大きいのです。
今まで、見慣れた風景が広がるコース。それによって効率性が重視され、またそれは予測も容易にできるわけで。
そして、その観光コースを観光客はゾロゾロと辿っていく。そこには無意識に管理されたシステムによる彼らへの管理があるのです。

そして・・・東京はメディアの中心地でもあるわけで。
日本だけでなく、世界においても情報の流通の中心地の1つ。
メディアによる管理が近い部分は、最もマクドナルド化の影響を受けやすいわけで。

そこから発信される情報は、ある種画一化されたものであるわけだから。
まぁ、そこには異論反論はあるでしょうがね。

けれど、合理化された世界からは、計算が不可能なもの、予測が難しいものは極端に排除されていく。
それが、サプライズなものでさえも。
それはスポーツを画一化されたものへと変容させ、ある人からみれば「面白みを失ったもの」として写してしまうのです。

それは合理化への弊害なのかもしれません。
まぁ、それがその時代の波なのであれば、抗う必要もないのかもしれませんが。


みなさんはどう思いますか?
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by rinnken1228 | 2006-08-31 22:54 | は○しケンイチ的こころ
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