<< ゼミ、再始動 がっしゅくなかび >>

OLはマクドナルドで生産されるのだ

みなさんこんばんは。
ええ、かなり久々な気がします。パソコンから更新するのは・・・


今日、合宿が終わりました。
去年までは軽井沢だったんだけど、今年からは千葉の白子にて。
今年から秋リーグも白子になったのです。それにあわせて・・・という感じ。

年甲斐もなく怒鳴られてみたりもしましたが。
まぁ、そんなもんか。
いやね、別にそれで片付けているわけではないんですがね。
でも、もっと集中しなきゃなぁ・・・

飲み会は例年通り(?)盛り上がりました。w
まぁ、約1名大変なことをしでかしたようですが。
僕は早々に部屋に引き払って、安眠をむさぼりまして。
しかし・・・部屋で暴れた後輩に爪先を踏まれ、脛をけられ・・・
そして・・・また別の後輩に部屋を追い出され・・・
しまいには・・・隅っこの方で寝てたら、隣で寝てた同期の膝蹴りが入り・・・

もう、踏んだり蹴ったりですよ。

それにしても。
最近、頭痛が引きません。
多分、首の後ろ辺りにできたしこり(みたいの)が関係しているのでしょうが。
まぁ、検査行ったけど、その診断結果もらいに行ってません。w
ま、そー簡単には死にませんよ。
リーグ終わったら、もう1度検査してもらおうかな~。(意外と切実・・・orz


明日の昼から、ゼミです。
正直な話・・・あまり準備は進んでいないのが現状・・・
やばいなぁ・・・orz...


ところで。
風味堂の愛してるのPVが好き。
もちろん歌詞もいいし、曲自体もいいのだけれども。
あんなシチュエーションには憧れるね、本当に。
てか、あのリポーター、長野翼に似てません?
ああ、どうせ目の付け所がマニアックですよーだ。


さて、後半は先日の記事の続きでも。




ようこそ後半へ。

前回、このような記事を書いたわけですが。
まぁ、結局は手詰まりになってしまったわけで・・・w

そんな中である記事を紹介してもらったので、それを踏まえて書いていこうかと思います。

皆さんは、「OL」という言葉に、どのような印象を持つでしょうか?
おそらく、色々な意見があると思いますが。

その前に、キャリアウーマンとOLのイメージの差異はどこから来るのでしょうか?
やはり、それは略語か否かの違いかと思うのですがね。
日本人は特に、言葉を省略する傾向にあるわけで。セクハラとかDVといったものが良い例でしょう。
前述の2つは共に、重要な社会問題であるにもかかわらず、それを省略することによって、問題それ自体を非常に中身の薄いものへと変質させてしまうわけで。
だから、動宝にもセクハラという名のAVのジャンルが生まれてしまう。
もちろんそれだけではないのでしょうが、この要因が占める割合は少なくないと思うわけで。

それでは、なぜ最近になってOLという言葉がもてはやされるのでしょうか?
そこには、さっきにも書いたようにその言葉が持つ「軽さ」があると思うのです。
例えば、CanCamの表紙に「エビちゃんキャリアウーマン」などとあっても、それを本当に買うでしょうか?

「キャリアウーマン」も「OL」も、どちらもジェンダーを捉える上でのキータームであることには変わりありません。
けれど、「OL」の方がポップな印象があるのは事実で。
90年代前半に放送された、東京ラブストーリーはまさに、「キャリアウーマン」と「OL」の対比がテーマと言えるでしょう。もちろん、作者の意図がそこにあったかどうかは知りませんが。

けれど、このドラマからその部分しか汲み取らないのは、多少であれ浅はかでもあるわけで。
そこには、「OL」としての生き方を選ぶことで「幸せ」を得た女性と、「キャリアウーマン」を貫くことで「孤独」な女性を引き受けることになった双方の「悲劇」が隠れているのではないでしょうか?
このドラマから約10年を経て、やまとなでしこが放送されるわけで。
そこからは「結婚」と「恋愛」が完全に乖離された状況が浮き出されていくわけで。

そこには、「働く」女性がどんどんとポップ化していく状況が見えていきます。
女性を職業によって判別すると同時に、同じく職場では「女性」が1つの職種として捉えられていく。
もちろん、その逆もあるわけで。

そのような流れから、「エビちゃんOL」が誕生したわけで。
ポップ化の流れは、ある種マクドナルド化ともかぶる部分は大きいと思います。
いや、「エビちゃんOL」はマクドナルドと同じようなものでしょう。
マクドナルドはジェンダーをも飲み込んでいるともいえるのです。もちろんそれは、合理化の波が。

「エビちゃんOL」は、それを演じる彼女達に、そしてそれを取り巻く男性にもあらゆる面で合理的に作用しているのです。
それは・・・安心感という名の予測可能性が。
そして、白いワンピースにラメ入りのネイルという人によらない技術体系による人間の管理がそこにはあるわけで。

そして・・・そこからは画一化されたものからの喪失感が生じてくるのです。
そう、合理性から生じる非合理性が。
それは・・・「幸せ」への渇望なのかもしれません。


もうちょっと・・・詰めれば面白くなりそうなんだけどなぁ・・・
ダメダメだ。

はいはい、おわりおわり。
[PR]
by rinnken1228 | 2006-09-14 02:19 | は○しケンイチ的こころ
<< ゼミ、再始動 がっしゅくなかび >>