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世間が歪んでいるのは 僕のせいかもしれない

みなさまお早うございます。
なんだか、先週末の天気が思い出せなくなるくらいの晴天ですね。
リーグ戦の結果については次回にするとしまして。


さて、題名はチェインギャングからの一節です。
このアイロニカルな歌詞がすごく好き。
普段はポジティブだのプラス思考だの言ってるわけですが、自分の根底にはペシミストの血が流れてるのかもしれません。(笑)

さて。最近は朝の情報番組を観るのがとても苦痛なわけでして。
どこも同じ内容を扱ってますからね・・・
最近のテーマは「教育」なんだと思う。
教育改革・美しい国・いじめ・履修不足・・・
そこらへんがキーワードになってくるんだと思う。

ま、履修不足の問題なんて、「何を今さら」という思いが強いわけでして。
うちの高校でもやってましたからねぇ。
僕には地理の知識も世界史の知識もございませんが何か?
だから大学に入ってから苦労しているわけですが。(笑)

その分無駄に理科だけは3科目やらされてましたがね。
化学・物理・生物・・・orz...

昔に比べておもしろい先生が減ったんだと思う。人間的に・・・ね。
どっかの番組でとあるコメンテーターが言ってたけれど、自分もそう思う。
それは団塊の世代が一気に減るからなんじゃないかな、そう思うわけで。
教育の場にも2008年問題の足音は日に日に大きくなりつつあるわけで・・・

やっぱり、学生運動を経験している人たちだからこその人生の重厚さ、に触れることができなくなったからじゃないかな、そう思うわけで。
なんだか無菌培養された人間ばっかりじゃないですか。なんだか人間味に乏しいわけで。
もちろん、社会がそういう人間を求めているのであれば、それでいいですが。
けれど、どこかそこには虚無感が付きまとってしまうわけで・・・


教育組織の内部事情については全くもって興味がない、というか知識が皆無に等しいので何も言えませんが。
最近は「聖と俗」の境界線がどんどんと曖昧になっているんだと思う。
デュルケームの言葉を借りると・・・ね。

教職とは、ある種聖的な部分を多分に持ち合わせている職業なのだと思う。
どこか普通の人ならば近寄りがたいような、そんなアウラが・・・それが昔の教師なのだと思う。
近寄りがたい。そんな半可視化された権力がそのアウラに内在されているからこそ、教師を教師たらしめていたんだろうな、そう思うわけで。

それがどんどんと俗化されているわけで。
俗化とは、平たく言えば一般大衆化、ってこと。
要するに、どこにでもいるような下衆野郎どもと一緒の分類に成り下がってしまった。
物を教えること、それは実は高貴なものであったはずなのに。
高貴であり、それは崇高なことであったはずなのに。

けれど、それが俗化してしまった。
それは教育のみに言えたことではなくて。色々な部分で聖的なものが俗的なものへと転化しているんだと思う。
それは・・・交通事故の現場、そして墓地、そして最後には葬式までがテレビで中継されるようになったことからもうかがえると思うわけで。
これらは全て、聖的なものの象徴であったはず。もちろんそこには場所性の問題が絡んでくるけれど。
けれど最近は、聖なる場所がどんどんと俗なものへと変わって・・・いや、変えられてきているわけで。


そこの背後には「マクドナルド化」の波が吹き荒れている部分は否定できないわけで。
要は・・・合理化ですよ。マックス・ウェーバー風に言えば。
様々な面で合理化がなされるために、聖なるものは俗なるものにどんどんと毒されているわけですよ。
だって、合理化は精神性を否定するでしょ?

教育の聖性が復活したとき、おそらく教育は威厳を取り戻すのでしょう・・・

だから・・・世間が歪んでいるのは僕のせいかもしれないんだ。
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by rinnken1228 | 2006-10-31 10:11 | は○しケンイチ的こころ
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