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さよなら人類、さよなら2006

みなさんこんにちは。
今日は大晦日です。(←知ってるよ

今日は我が家は大掃除です。
ま、何もしてませんがね。
・・・この、親不孝者めが。
ずーっと、自分の部屋の掃除をしてました。(笑

そんな大晦日なわけですが。
6時には家を出発するわけでして。
完全ノープランの旅が始まります。
ちなみに。
バスの行き先が広島になってました。
宿は山口なんですけどね。
もう、ぐでんぐでんです。

多分、2日目以降はトイレ泊が基本になってくると思いますが、
どうにか無事帰ってきたいと思います。
少なくとも拉致されるのはご勘弁を。


それにしても。
この1年、いろんなことがありました。

良いか悪いかは別として、会えて今年は社会を・・・そして全てにおいて斜め上から見てみよう、と思って。
世間を斜め60度上あたりから見てみよう、そんなスタンス。
ああでもない、こうでもないとゴチャゴチャ言ってきたわけですが。
少年Hのような、どこかぶつける所のない煮え立った感情を、ここに吐露することができたのは、自分にとっては良かったと思います。
もちろん、それで迷惑をかけた部分は大きいと思うけれど。

ま、それはいいとして。
今年は主体のいない年だったのかな、って思います。
Livedoorの事件にせよ、偽装マンションの事件にせよ。
その当事者も、それを見る側も、すべてがすべて、客体だったんじゃないのか・・・と。
舞台で踊る者は誰もいない、みんな観客席から観ている・・・そんな感覚を覚えました。
強いて言えば、「伝える側」だけが一人舞台を演じていたんじゃないか、そう思うんです。

誰もかもが、「観たい」けれど「観られたくない」を繰り返していた。
つまりは誰もが深く関わりあうことを嫌がっていた、ってこと。
それを表す良い例が2つある、と思うんです。
どちらもLivedoorがらみで。

1つは民主党のN田とかいう衆院議員の偽メール問題。
なんだか、真相は闇に葬り去られたような感じだから、本当はどうだかよくわからないけれど。
けれど、彼は終始演じ手では無かったように思えます。僕には。
ただ単に、舞台のリーフレットだかなんだかを片手に舞台に引きずり上げられただけだった。
だから、最後までその情報源に騙されていた、という弁明をしていたはずです。
そこには、主体というものが存在しなかった。
観ていただけ、それだけなのです。

もう1つは、堀江が逮捕されてからの周囲の反応。
「騙されました」そういう反応が多かったと思うんです。
じゃあ、それを「信じた」主体はどこにあったのか?
おそらく、どこにも無かったはずです。
ただ、劇の予想外の展開に驚いただけなのでしょう。
つまりは「驚いた=騙された」なのです。
結果的に、そこには主体も何も無い。信じるという行為が存在しないのだから。

結果的に、深層を見ずに表層だけを捉えていることに行き着きます。
情報量が多すぎて処理ができないので、オペラグラスで覗いてみたら、それは表層にすぎなかった。
そんな皮肉なオチがあるのです。
つまり、個人が公の場を通り越して、個の領域に踏み込もうとしたがために起こったことであって。
だから、相手を観たいが自分は観られたくない、そんな気持ちが生じる。
ある種の透明人間的志向なのです。

それを端的に表しているのが、このCMだと思います。


はて・・・話は変わって。
では自分自身はどうか、と。
良くも悪くも、たくさんの繋がりの年だった思います。
繋がりというものの大切さを身にしみて感じたと同時に、一瞬にして人を嫌いになる瞬間をも味わって。
大切な人が、自分の腕からすり抜けていく感覚も味わった。
人間って本当に消えてなくなるんだな、って身をもって実感した。
その先の世界には何が見えているのですか?
時間を戻すことができるのならば、その瞬間まで戻りたいと思う。本当に。
やっぱり好きだわ、鬼嫁が。


夜が明けるまで、語り明かせる仲間ができた。
周りがヒヤヒヤするくらい熱くなれるのも、自分が周りを信頼しているから。
心置きなくなんでも話せる仲間ができたのは、それこそプライスレスなことだと思う。

熱く議論していく、その一言に重さがある。
バカをやる、その一瞬一瞬に何かの意味を重ね合わせていく。
なんだかどちらも自分の血となり骨となっていく実感があるのです。
漠然としていてまだよくわからないけれど、いま自分は口では表せないほどの贅沢をしているんだと思う。


自分の将来について、ふと思いを巡らせてみても、やっぱり繋がることの大切さを実感して。
もちろん、コネとかじゃなくて。
今まで話したことのないような人と話したり、違うバックグラウンドを持つような連中と触れ合った。
自分がどうあがいても経験できないようなことをこなしてきてるやつなんて、ゴマンといる。
それを聞いているだけでも、自分にとっての刺激となるのです。

雨風にさらされた野の花ほど、人を和ませる。
咲き乱れる秋桜の大群よりも、凛と咲く一輪の雛罌粟のほうが美しい。
そこにはどことなく強さが漂っているのです。
そのような方々と会えたのは、本当に幸せだったと思います。


来年は自分の人生においても、大きな節目を迎えるとき。
どのように転がるかはわからないけれど、来年の今頃には何らかの答えが出ているはず。
まだ、将来の自分が全く想像つかないけれど。
でも。それまでに。
僕の心は何かを掴み取っていますか?
自分の心を手繰るような、強い何かはありますか?
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by rinnken1228 | 2006-12-31 15:36 | は○しケンイチ的こころ
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