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映画とカップラーメンの世界で

みなさまこんばんみ。

ドラマ「東京タワー」の主題歌は、やっぱマイペースの「東京」がいいと思ふ。
♪東京へはもう何度も行きましたね♪
ってやつ。
なんでコブクロなんかにしちゃうかなぁ…
なんでもこみちかねぇ。

最近のドラマが、妙にバラエティに欠けるように感じる今日この頃。
だいたい続編か、小説・漫画のリメイクやん。
つまらん。
…大滝秀次か。

バラエティに欠けるのは、映画も一緒でして。
こいつら、創造力あるのかな~、なんて思わせるような作品が多いような気がします。
大体がリメイクですからね。
まるで、カップラーメンでも食べるような感覚です。
そりゃそうか、本家本元のキャッチコピーがFREEDOMだからな。
なんでも転用可能、てことなのかな。
…違うか。
それにしても、あのCMもコンセプトがまったく見えぬ…
メッセージ性なら、前作のほうが上だな。

話を戻して。
最近、芸術作品そのものが、とても薄っぺらいものになってるな~、なんて感じたり。
質より量というか。
中身より宣伝に金かけてる、というか。
ハナマルキの逆だな、こりゃ。
ま、平たく言えば、アンディ・ウォーホルのシルクスクリーンのような簡単さを感じるのです。
そこには、かつてベンヤミンの言った作品としてのアウラはない。
悲しいものです。
話は飛躍するかもしれないけれど、それはどこか映画がテレビドラマの延長になってるからじゃないかな、とも思うんです。

そもそも、テレビドラマと映画は、似て非なるものであって。
見方も違えば、社会に与える影響力のスケールも違った。
かつての黒沢映画をみればわかるでしょう。
寺内貫太郎がどんなに頑張っても、菊千代の世界に与えた「日本人」としてのイメージを変えることは難しかった。

けれど。
それがいまやどんどんと変化しているように感じて。

かつてのソープオペラのような、薄っぺらい感動、形式的に連呼される家族愛、そして韓流ドラマよりも先の展開が見えやすい純愛…

純愛、とはひとつの記号の一形態、なんて誰かが言ってたけれど、まさにそのとおり。
すべてが記号としてしか見られなくなっているのかもしれないね。
記号論、まだ少ししか勉強してないんでわかりませんが…

あ~、勉強してぇ。
もっと本読まなきゃ。

いま、日本映画の復活が声高に叫ばれているけれど、それが本質を突いたものなのかどうか、冷静に見る必要があるんじゃないかな。
僕にはどうも、一時的な復権にしか思えんのです。
by rinnken1228 | 2007-02-12 21:12
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