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なんて悪意に満ちた自由なんだろう

おはよーございます。

昨日は寒かったらしいですね。
基本的に外に出ないので、外がどんな感じなのか、まったく…さっぱり。

今日は、国公立の前期試験2日目だそうで。
気分的には、大学まで行って冷やかしをしたい気分ではありますが。
できるわけもなく。
というか、陰湿ですが。

まあ、なんというか。
頑張れ!としか言えない、というか。
合格発表の頃には退院してるのかな?
…まだ、無理か…

そういえば、今日はアカデミー賞の授賞式らしく。
どこも生中継とかやってるから、テレビを観る気も起きず。
テレビの報道マンって、最近ハイエナにしか見えない。
華やかさに隠されてはいるけれど。
すごく卑しい職業に思えてきます。
そんなこと言ったら、怒られちゃうけれど。
ま、よく言えばバイタリティに溢れてるんじゃないんですかね。

それにしても。
なぜ今さら菊池凛子?
広告批評とか、かなり前から取り上げてたやん。
発見しました!みたいに報道してるのみると、なんだか妙な感覚になるな。

それよりも、三遊亭円楽の引退のほうが、ビックリでした。
まさか、って思いましたね。
「芸は10割の出来じゃなきゃ駄目」って言葉には、なにかグッとくるものを感じ…
外野は黙って見守ってあげたほうがいいんじゃないかな、と思いました。
そのコメントを見て。

倒れるまでやる、ってのも1つの美学ではあるけれど、引き際を見極めるのも1つのやり方だと思う。
それを間違えると、取り返しのつかないことになるから。

そんな朝でしたが。
今夜からまたYoshiのドラマをやるらしいです。
すぐに小説をドラマ化しようとするあたり、発想の幼稚さを感じるけれど、それはいいとして。
…あんまよくないか。

それよりなにより。
Yoshiって作家が、いま人気だそうで。
一度読んだことあるけど、別にすごいとも何とも思わなかった気がする。
展開読めるし、薄っぺらい感動しか与えないし、文章力なさすぎだし。
よくもまぁ…って思ったのが正直なところで。

ただ、この人の本が受け入れられるのも、なんとなくわかるような気がするわけで。
なぜか?
それは、「生きる動機」がそこに明確に示されているから。
要は、生きるための理由
が示されているわけで。
「なぜ?」「why?」その答えが、目に見える形で示されていて。

それは、1つの解答例にしかなり得ないはずなのに、絶対的な権威を持ってしまう。
新しい小説がでるごとに、もちろん新しい解答例が提示されるわけだから、その度に観客(読者)は感動する。
新しいマニュアルを手にしたわけやからね。
「純愛」とかそういったのは、あくまでもそれに付随する、付加価値でしかなくて。
与える感動も、想定の範囲内、ってことか。

結局、生きる動機でさえも、明確な答えがないと生きられない時代らしく。
ただ、心臓が動いて、呼吸をして、ってだけじゃ駄目らしい。
それはすごく息苦しいことだと思うけれど。

もののけ姫が公開された10年ちょっと前は、まだ明確な答えまでは求められてなかった。
「生きろ。」
糸井重里のこのコピーにシビレタのを覚えています。

明確な答えがあるのではなくて、「ただ生き続ける」というプロセスに重点が置かれていた。
でもいまは違う。
生きることに対しても、どうやら動機付け=理由付けが必要らしい。
要は、「生きる」という行為そのものから、「生きる理由」つまりは原因に重心がシフトチェンジしているのでしょう。
結局はマニュアルなんだろうな。
それがないと、周りが見えなくなる時代なんだろう。

要は、合理化の代償、というべきなのか。
それは安直すぎるとしても、すぐに理由を求める時代、ってのもなんだか嫌な感じがします。

自由に生きられるはずの時代なはずなんだけどね。
なんて、悪意に満ちた自由なんだろう。
そして、そんな時代に生まれた自分。
うーん、自分が見えなくなります。
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by rinnken1228 | 2007-02-26 11:39 | は○しケンイチ的こころ
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