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公共性

おはようございます。

今日の日経は、N興の上場廃止がトップだったようで。
この病院は日経がないからよくわからんけど。
就活組どうするんですかね?
受ける人も多いでしょうに。

ま、逆に手負いの企業に入った方が、あとあと良かったりすることもありますからね。
リクルート事件のときのZ日空みたいに。
いまは一人勝ちみたいなもんだわな。

というわけで。
来年はF家、M菱ふそう、リ○ナイ、パ○マ、M下あたりは必ず受けますよ。
あ、Kテレビも受けようかな。

M下は、今年は技術研究にかなり投資するらしいです。
何をいまさら、って話ですが。
ビクター手放しちゃったもんね。
営業はうまいのに…ねぇ。

それにしても。
…就活ナメテルナ、ジブン…
どうやら、自分には破滅願望があるらしく。
シムシティで、造った街を最後に破壊したくなるような、そんな感覚と似ているかも。

ところで。
読売のトップ記事は、「君が代の伴奏命令、合憲(最高裁判断)」。
まぁ、当然といえば当然だよな。
公務員の職場にまで、「思想・良心の自由」なんてのが認められては、どうなんだ?って話で。
つーか、君が代がだめなら、何だったらいいんですかね?
「千の風になって」とかか。
どうだか。

全体主義、個人主義がどうとか、それ以前に、公の場において、自分の思想を述べることがどこまで許されるのか、といった線引きができていないんだろうな。
自分は嫌だから、拒否します。
みたいな。
その理由に、「思想・良心の自由」みたいな、とってつけたようなものを持ち出す。
…明らかに、エゴじゃん。

国立もけっこうそういった空気の根強いとこだから、そういった関連の講演会や勉強会も多く。
日野の先生にはインタビューもしたことあるし。
何回か行ったけど、議論は現実離れもはなはだしく。
すごく違和感を感じました。
教師という職業の持つ社会性以上に、自分という個人性にしか、興味がない。
というか、言及してない。
木をみて森をみない、とはまさにこのことで。

学校は様々な人間が集まるところで。
宗教、学力、経済力、社会的地位…
それぞれの社会関係資本で、考え方なり価値観なりも当然、変わってくる。
パットナムみたいだけど。

ただ、その考え方なり価値観の1つを押し付けるのはいかがなものか?
それを、しかも教師が。
それも公の場で。

全体と個人、という視点でみたとしても、そういう行為は「自分が嫌ならば場を乱してまでも拒否していい」みたいな感覚も生みかねない。
それが長いスパンでみて、良いのかどうか。

確かに、価値観の多様化、とか反論はあるかもしれない。
公権力による教育の抑圧、なんて批判はあるかもしれない。

だがね、価値観の多様化と個人主義は違う。
多様化の議論の根底には、その共存が含意されていて。
その部分を見抜けていない。

教育の抑圧なんてのも、ちゃんちゃらおかしい。
まず、教員は公務員であるわけで。
少なくとも公立校ならば。
それに「抑圧」される、ってのは「自由がない」ことを暗に言っていて。
でも、自由という権利を取得するためには、義務をも果たさねばならず。
じゃあ、その義務ってなんだ?
その1つには、やっぱり教師としての職務を遂行する、ってことがあるでしょう。
職務の遂行の1つに、式の実施も含まれるわけで。

要は、権利だけ述べて、義務をやってないんだよ。
これも、根本的な部分を置き去りにした議論だよなぁ…

一般的に考えたら単純におかしいのに、法律的には議論の余地がある、ってのも変な話ですねぇ。
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by rinnken1228 | 2007-02-28 10:18 | は○しケンイチ的こころ
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