<< ペニンシュラ 悲ⅢC >>

事実を知る、そして伝える

事実はひとつ、だけど真実は人の数だけ。
小学校だか中学校の頃だったか、そんな話を聞いたことがある。

元来僕は、知りたがり屋だった。
なんでも知っていないと落ち着かない性分だった。
だから何に対しても首を突っ込んでいた気がする。
人伝いに聞くのが、一番嫌いな人間だった。

それは社会に対しても、政治に対しても同じだった。
大人になったら、社会のあらゆるものを自分の目で見ることができる
そう思っていた中学・高校の頃。
自然な流れなのか、高校の頃の夢は、ジャーナリストだった。新聞記者だった。
その目で、耳で、肌で、その事実を体感することができるから。

けれど大学に入ってちょっとその考え方に疑問を持つようになった。
まったく事実が伝えられていないような気がしたから。
何もかもが、ゆがんで伝わっていく。
事実が歪んだ真実になる。
まるで、伝言ゲームのように。

怒りに任せたような報道。
元からセットされたような状況の中で伝えようとする、身勝手さ。
そして。
言いたい放題の口だけで、何も責任を取らない自称コメンテーター&ジャーナリスト達。
あいつら、自分の安全ばかり考えていやがる。
それ以来、報道という世界に興味を持てなくなった。
それまでは、聖職だと思っていたのに。


だけど。
事実を知りたい、という気持ちが強くなってきた。
そして、その事実を伝えたいという気持ちも強くなった。
伝えた時点で、それは事実ではなくなる。
真実になってしまう。
ならば、事実により近い真実を伝えようじゃないか。
現場に行って、見て、聞いて、肌で感じたことをそのまま伝えようじゃないか。
良い部分も、悪い部分も、そのまま。
それがどんなに危険な場所であったとしても、そうしたい。
沢田教一のように。一之瀬泰造のように。

そんな思いが強くなる、今日この頃。
[PR]
by rinnken1228 | 2007-09-29 13:39 | は○しケンイチ的こころ
<< ペニンシュラ 悲ⅢC >>