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それでもやっぱり、死刑は嫌いだ

請求金額、67万円でした。
請求書って来るとなんだかね、現実味ってのが湧くねww

えー、カンパとかお願いするかもしれませんので、そのときは優しく対応してやってください。
いつか、恩返しはしますので。
たぶん。


朝、大学行く途中、チャリンコがパンクしました。
おかげで試験、遅刻しました。
ま、遅刻しようがしまいが、できなかったから変わりませんが。
へいへい。

今年は僕にとって中殺界なのでしょうか。
それ以上に、タイヤ殺界な気がしないでもありませんが。
なんだか不吉な予感がプンプンする。


今日、どっかの事件の裁判で、死刑の求刑がされたと聞きました。
そのたびに思うのです。
僕は、やっぱり死刑が嫌いだ、と。

確かに、遺族の気持ちはわかるんです。
家族を殺されたことなんてない僕からすれば、彼らの気持ちは1パーセントもわからないけれど、それでも痛いほどその気持ちはわかるつもりです。
でも、いや、だからこそ、彼らには死刑を支持してほしくないのです。

死刑とは、合法的な殺人といえるでしょう。
でも、犯罪である殺人と共通する部分がひとつあります。
それは、人の命を奪っているということ。
単純で当たり前ですが、根本的な事実です。
そこを見落としてはいまいか。

人の命を奪うって、とても理不尽なことです。
はっきり言って、大方の場合は殺す側のエゴですから。
もちろん、そうじゃない場合もあるとは思うけれど。
人間、いや生物全部、理不尽な生き物です。
自分が生きのびるために、他のものを殺す。
そして、食べる。
それが自然の必然、されど無常なものだと思う。

僕たちは日々、肉を食べます。卵も食べます。野菜も食べる。
それを体の中に入れることで、食物となった彼らの記憶さえも食べていると思うんです。
これまで、彼らが生きてきた道のりも全部からだの中に組み入れていってると思うんです。
だから生物は成長していく。
非科学的だけど、そう思いたい。

もちろん人間の肉を食べるわけにはいかないけれど、人を殺した人は、だからこそその人の分まで生き抜くべきだと思うんです。
それが、自分の志半ばで命を奪われたものに対する責任の果たし方だと思うんです。
だから、もっと強く生きなければならない。
もっと一生懸命に生きなければならない。
そう思うんです。


「人を殺した人間は人間じゃない、だから死刑にしていいんだ」
そんな論理があるそうです。
おかしくないですか?
「人間じゃない」から「殺していい」という論理。
誰が、どこで、どうやって人間かどうかの判断基準を設けたんだ?
死刑を肯定したいがために、自分も人を殺そうとしていることを隠そうとしているだけじゃないか。

そして。
「みんなが嫌がっているから、怖がっているから、死刑にしていいんだ」
そんなのもあるそうです。
これって、魔女狩りじゃないですか。
村八分もここまでくると、たいしたもんだ。
学校では、「死ね!」なんて言葉を吐いたら、よく怒られたものです。
でも大人の社会は違うみたいです。
「頼むから死んでくれ」と思えば、死刑にできるのですから。
どんないじめよりもたちが悪い。


人の命を奪うこと、それを意識したうえで死刑を支持するのならばわかります。
だけど、その重みを無視して支持する人には、僕は違和感を覚えて仕方がないのです。



ん。おあとがよろしいようで。
さて、ES書くか。
by rinnken1228 | 2008-01-26 01:47 | は○しケンイチ的こころ
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