カテゴリ:は○しケンイチ的こころ( 160 )

1000

1000です。
トピックのエントリー数も、これで1000個めです。

思えば、自分の学生生活を綴るべく、このブログを始めたのは2004年の10月。
丸4年が経ちました。
長かったですなぁ。
いや、短かったのか。
どっちもなんでしょうが。

間違いなくこの中にはその時々の自分が詰まっていて。
今と比べたら、変わっているのかもしれないし、変わっていないのかもしれない。
それもまた、どっちも。
外から見れば。
だけど、自分はまだ変わっていきたくない。
何があろうとも、自分は変わらない。
そう。
自分は、自分。
ずっと、ずっと。
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by rinnken1228 | 2008-09-22 00:47 | は○しケンイチ的こころ

ああでもなく、こうでもなく①

とりあえず、最近思うことを書き出してみようかと。

①H○Sからの返金はまだか。
マレー鉄道のチケット代が返ってきません。
軽く詐欺だろ、と思うのは僕だけ?
ま、電車がだめなら「南部までバスで行ってください」なんてほざいてた連中だからなー。
正直、ケンカ売ってんのかって思ったわけですよ。
馬鹿とか阿呆とかそういうことじゃなくって、担当地域の情勢くらい勉強しようっていう意識の問題だと思うんだがね。
どうだろうか。
とりあえず、あんな社会人にはなりたかないね。

②電車の中で、スーツ着て少年誌を読む大人について
別にいいとは思うんだけどさ。
家で読めよ、って思う。
単純に、品格の問題。
そりゃ、誰にも迷惑かけてるわけじゃないし、注意されるわけでもない。
けれど、周りからは「あー、そーゆー程度の人間なんだな」って思われてしまう気がする。
新聞の1ページや2ページ読めるだろ、って思う。
とりあえず、自分はそういう風にみると思う。
確実に、下に見るだろうね。
それでいいのであれば、いいと思うが。
ま、価値観の問題。

③意外と人間って強かったりする
別に、ヘミングウェイの受け売りをしてるわけじゃなくて。
リー○ンが潰れたり、A○Gが経営危機だったりするけれど。
その度に最悪の事態が起こるとか何とか言われるのは、どーにかならないのかしら。
テレビってのは究極のサディストですな。
観てる人を恐怖に陥れようとして、何が楽しいんだか。
最悪の事態は個々人が想像するもの。
宣伝するものではない。
そして、人間は負けるようにはつくられていない(老人と海より)

④外があるから、内がある
配属面談とかゆーのがあるらしーので、ちょっくら将来についてでも考えてみたり。
ま、のらりくらりとなんですがww
別にまとまってるわけじゃないし、最初のうちからやりたいことやらせてくれるわけねーだろ、って思っていますが。
とりあえず、あれだな。
日本のために働きたいなー、とは思う。
なんてたって、自分が帰属している場所ですから。
だけど、そのために海外に出てみたいと思う。
日本をそこまで意識する裏側には、やっぱり世界の存在があるから。
なんだかんだでコインの裏表。

⑤生きるとはなんだ?
生きるとは、裏を返せば死ぬことだと思う。
どれだけいい人生を送れるかは、どれだけ日常に死を意識できるか、ってことだと思う。
危険な場所に身を置くってことではなくて。
自分の納得する最期を迎えるために、人間は成長するのかも。
物悲しい感じですが。
新田の家に泊まった際に話した内容。
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by rinnken1228 | 2008-09-20 01:21 | は○しケンイチ的こころ

今日も暮れゆく 異国の丘に

先日、劇団四季の「異国の丘」を観てきました。
ゼミテンと3人で。

劇団四季のミュージカルを観るのは、これが初めて。
あまり演劇自体に興味がないほうですからね。
いや、誘われれば行くのだけれど。

そんな僕ですが。
舞台になんだか引力のようなものを感じてしまい、食い入るように見入ってしまいました。
ストーリーだけ聞くと、非常に眠気を催してしまうのですが。
それが浅利慶太マジックというべきか、それとも単に出演者が陣内孝則に似ていたからだけなのか。
そこはよくわかりませんが。

ちなみに僕自身は、演劇についての知識はほぼ皆無です。
上手と下手の区別もつきませんから。

さて。
歴史とは、個々の主観が入るものです。
その出来事に対して、どちらの側の視点に立つか。
それによって見えてくるものも、また感じ取るものも大きく変わってくる。
もちろんどちらの側に立つか、というのは、その人のバックヤードに関わってくるわけだけど。

だからそのような歴史を題材としたミュージカルを創ること自体、勇気の要ることだったのかもしれません。
先の戦争のようなものは、特に。

歴史認識とは、ある種価値観のようなものでしょうから、そこから発せられるメッセージを批判する気もないし、そんな行為自体がナンセンスだと思います。
だけど、過去、そのような事実があったのだ、ということを知り、そして目を向け、自分なりの解釈をせねばなりません。
このような歴史の上に、いまの自分がいるわけですから。

その出来事そのものを、批判しようが賞賛しようが、それは個々人の自由だと思います。
価値観の問題ですから。
だけど、その当事者までもを批判はすれど、侮り、蔑むことは妥当かどうか。
それは、同時代に生きた人々そのものを否定することにもなりかねない。
それはぜったいにすべきではないこと。
その人々がやったこと、そしてその結果がどうであれ、敬意を示さねばなりません。
良かれ悪かれ、現代への礎を築いてきたわけですから。


話がそれました。

浅利慶太は、「語り継ぐ日本の歴史」のなかで先の戦争に対する評価を述べています。

この時期の日本には、こうした場合重要な役割を果たすべき、「政治」が不在だった。リーダー達は「視界狭窄」に陥り、それまでの「行きがかり」を捨てきれず、結果多くの国民を破滅と死の淵に突き落とした。世論を戦争にかき立てたジャーナリズムの責任も極めて重大である。この時期、悲劇に向かう事態の推移を、体を張って止めようとした人はいなかったのか。少なくとも斉藤隆夫以外、記録には現れていない。

石橋湛山は違うのか、という突っ込みはありますが、それはともかく。
なるほど、と思います。
だけど、この文章からのみ判断する限り、浅利の感覚自体、支配者と被支配者という二項対立の中で、被支配者側のみにウェイトを絞った見方しかできていないように感じます。
要は、被支配者側に責任はないのか、ということ。
ジャーナリズムを含め、世論を誘導する力を持つ主体に、ただ単に惑わされていただけなのか。騙されていただけなのか。
支配者側にも選択する能力がある反面、被支配者側にも(程度の差こそあれ、)選択する能力もあったはず。
なぜ、そこに焦点を当てないのか。

先ほども書きましたが、歴史観であり、歴史認識は十人十色のものなので、それ以上のことは何も言えませんが、どちらか一方に善なり悪なりのレッテルを貼り付ける、という評価方法は、歴史を評価するうえではもう時代遅れの方法だと思います。
どちらにも責任がある、そう思う。

終結から六十年を経た今、戦争の深い傷が、日本の社会から忘れ去られようとしていることである。(中略)戦争を、左側は「侵略」として東京裁判史観に基づき、全てを悪と片付ける。右側は「止むに止まれぬ歴史の流れ」と発想する。しかし問題は、愚かさと狂気に捉えられたその「戦争の実相」である。多くの人は「戦争」を遠い過去のものと考えている。本当にそうなのか。
(中略)
哀悼と挽歌は、我々の手で奏でなければならない。


愚かさと狂気と評価することについてはともかくとして、忘却の彼方へと向かっていくこの事実を、どうすれば忘れ去られることがないようにできるか。
食い止めねばなりません。
それは、日本人として、しいては地球人としての責務なのかもしれません。


それにしても・・・
グローバル化が叫ばれれば叫ばれるほど、ローカルなものが脚光をあびるのだろう・・・?
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by rinnken1228 | 2008-07-09 14:05 | は○しケンイチ的こころ

傍観者か、媒介者か

あーあ、内定先不祥事起こしました。
鉄鋼業界やばいですねー。
S金属以外、全部やってるじゃないですか。
これまでが好調だったから、仕方ない部分あるのかもしれませんが。
ただいま踊り場状態。
そろそろ落ち目・・・か!?!?
勘弁していただきたい。


ただいま付き合っている方から、最近やたら結婚とゆー言葉が飛び出します。
あのー、結婚なんて考えたことないんすけど、自分。
しょーじきなところ、だいぶめんどくさくなってきました。
とゆーか、ゼ○シィ読みすぎだろ。
なんとか止めてくれ、し○りんww!!

だからといって、付き合う経緯が経緯だっただけに、そうも簡単に別れることもできないわけで。
そろそろ、伝家の宝刀を抜こうかしら。


そういえば、秋葉原で例の事件があったとき、幸か不幸か、僕も秋葉原でした。
なんと、世界は狭い。
塾のヘルプに行き、人数足りたからと追い返され、駅に向かう途中に起きたようで。
ま、線路挟んで反対側で起きていたので、よく知りませんが。
いやー、ニアミスというか、なんというか。

別にこの事件がどーだとか、言う気はまったくない。
だって、犯行現場を実際に見ていたわけでもないし、犯人のことだって全然知らない。
派遣労働者であることと、この犯罪はまったく関係はないとも思う。
ただのマスコミの言説だろーな。
ましてや、宮崎勤の死刑について何か言おうって気もさらさらない。
なんだか政治ゲームに使われた感はあるし、いまの法務大臣の考える「正義」の定義については、いろいろ聞いてみたかったりはするけれど。
あ、あとはなんでそこまで死刑にこだわるのか、も。

ただ、なんだろうか。
「写真を撮る」という行為は、ああも残酷なものなのか、と感じてしまったのは事実。
僕は、いわゆる報道写真というのが嫌いで。
明らかに「中立」という名の傍観者に徹しているのが嫌いなんですよ。
写真とか映像とか、視覚に訴えるものは、当然インパクトも大きい。
それをひとつ流すだけで、世論をひっくり返すことができるかもしれない。
人1人の人生を狂わせることができるかもしれない。
それくらいの影響力があるのは事実。

だけど。
そのメディアが収め、流した「現場」って、一体何なんだろう。
事実を伝えるということは、伝える本人もその場にいなければならない。
だけど、伝えた(≒写真を撮った)本人は、その場で何をしたのか。
言い方は悪いかもしれないけれど、単なる傍観者に徹していたのではないか。
もっと悪く言えば、野次馬。
しかも、それなりに大義名分があるからもっとタチが悪い。
外部世界に対する媒介者となるためには、まずは傍観者とならなければならない。
けれど、事件が起こっている現場で、傍観者であり続けることは、倫理的に許されるのか。
そして、ファインダー越しの世界を覗くことができるのは、傍観者の特権である。


それはメディアの抱えるジレンマだとは思う。
けれど、彼らがそのジレンマに悩み、戦っているとは、あまり思えない。
報道を見ている限りだと。
むしろ、媒介者であり続けるために、傍観者でいようとしているように思えてしまう。
そこに矛盾を感じて、新聞はあきらめたんですがね。


秋葉原での事件のときは、事件の様子を周りの通行人が携帯で写真を撮っていたことが問題になった、って聞いた。
いわゆるモラルの問題。
でも、そのモラルについては、そっくりそのまま、いわゆる「メディア」に返すことができるんじゃないか。

いまや一億総メディアと呼ばれる時代。
誰もがそういう選択肢を持っている、だからこそその2つの妥協点なりバランスのとり方なりを、必死に探さないといけないんじゃないのかな。


そんなことを考えた、金曜の昼。
何が言いたいかって、カメラが欲しいってことです。
しかも一眼レフの。
H谷、安く売ってくれ、ヨ○バシでww
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by rinnken1228 | 2008-06-20 12:26 | は○しケンイチ的こころ

それでもやっぱり、死刑は嫌いだ

請求金額、67万円でした。
請求書って来るとなんだかね、現実味ってのが湧くねww

えー、カンパとかお願いするかもしれませんので、そのときは優しく対応してやってください。
いつか、恩返しはしますので。
たぶん。


朝、大学行く途中、チャリンコがパンクしました。
おかげで試験、遅刻しました。
ま、遅刻しようがしまいが、できなかったから変わりませんが。
へいへい。

今年は僕にとって中殺界なのでしょうか。
それ以上に、タイヤ殺界な気がしないでもありませんが。
なんだか不吉な予感がプンプンする。


今日、どっかの事件の裁判で、死刑の求刑がされたと聞きました。
そのたびに思うのです。
僕は、やっぱり死刑が嫌いだ、と。

確かに、遺族の気持ちはわかるんです。
家族を殺されたことなんてない僕からすれば、彼らの気持ちは1パーセントもわからないけれど、それでも痛いほどその気持ちはわかるつもりです。
でも、いや、だからこそ、彼らには死刑を支持してほしくないのです。

死刑とは、合法的な殺人といえるでしょう。
でも、犯罪である殺人と共通する部分がひとつあります。
それは、人の命を奪っているということ。
単純で当たり前ですが、根本的な事実です。
そこを見落としてはいまいか。

人の命を奪うって、とても理不尽なことです。
はっきり言って、大方の場合は殺す側のエゴですから。
もちろん、そうじゃない場合もあるとは思うけれど。
人間、いや生物全部、理不尽な生き物です。
自分が生きのびるために、他のものを殺す。
そして、食べる。
それが自然の必然、されど無常なものだと思う。

僕たちは日々、肉を食べます。卵も食べます。野菜も食べる。
それを体の中に入れることで、食物となった彼らの記憶さえも食べていると思うんです。
これまで、彼らが生きてきた道のりも全部からだの中に組み入れていってると思うんです。
だから生物は成長していく。
非科学的だけど、そう思いたい。

もちろん人間の肉を食べるわけにはいかないけれど、人を殺した人は、だからこそその人の分まで生き抜くべきだと思うんです。
それが、自分の志半ばで命を奪われたものに対する責任の果たし方だと思うんです。
だから、もっと強く生きなければならない。
もっと一生懸命に生きなければならない。
そう思うんです。


「人を殺した人間は人間じゃない、だから死刑にしていいんだ」
そんな論理があるそうです。
おかしくないですか?
「人間じゃない」から「殺していい」という論理。
誰が、どこで、どうやって人間かどうかの判断基準を設けたんだ?
死刑を肯定したいがために、自分も人を殺そうとしていることを隠そうとしているだけじゃないか。

そして。
「みんなが嫌がっているから、怖がっているから、死刑にしていいんだ」
そんなのもあるそうです。
これって、魔女狩りじゃないですか。
村八分もここまでくると、たいしたもんだ。
学校では、「死ね!」なんて言葉を吐いたら、よく怒られたものです。
でも大人の社会は違うみたいです。
「頼むから死んでくれ」と思えば、死刑にできるのですから。
どんないじめよりもたちが悪い。


人の命を奪うこと、それを意識したうえで死刑を支持するのならばわかります。
だけど、その重みを無視して支持する人には、僕は違和感を覚えて仕方がないのです。



ん。おあとがよろしいようで。
さて、ES書くか。
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by rinnken1228 | 2008-01-26 01:47 | は○しケンイチ的こころ

事実を知る、そして伝える

事実はひとつ、だけど真実は人の数だけ。
小学校だか中学校の頃だったか、そんな話を聞いたことがある。

元来僕は、知りたがり屋だった。
なんでも知っていないと落ち着かない性分だった。
だから何に対しても首を突っ込んでいた気がする。
人伝いに聞くのが、一番嫌いな人間だった。

それは社会に対しても、政治に対しても同じだった。
大人になったら、社会のあらゆるものを自分の目で見ることができる
そう思っていた中学・高校の頃。
自然な流れなのか、高校の頃の夢は、ジャーナリストだった。新聞記者だった。
その目で、耳で、肌で、その事実を体感することができるから。

けれど大学に入ってちょっとその考え方に疑問を持つようになった。
まったく事実が伝えられていないような気がしたから。
何もかもが、ゆがんで伝わっていく。
事実が歪んだ真実になる。
まるで、伝言ゲームのように。

怒りに任せたような報道。
元からセットされたような状況の中で伝えようとする、身勝手さ。
そして。
言いたい放題の口だけで、何も責任を取らない自称コメンテーター&ジャーナリスト達。
あいつら、自分の安全ばかり考えていやがる。
それ以来、報道という世界に興味を持てなくなった。
それまでは、聖職だと思っていたのに。


だけど。
事実を知りたい、という気持ちが強くなってきた。
そして、その事実を伝えたいという気持ちも強くなった。
伝えた時点で、それは事実ではなくなる。
真実になってしまう。
ならば、事実により近い真実を伝えようじゃないか。
現場に行って、見て、聞いて、肌で感じたことをそのまま伝えようじゃないか。
良い部分も、悪い部分も、そのまま。
それがどんなに危険な場所であったとしても、そうしたい。
沢田教一のように。一之瀬泰造のように。

そんな思いが強くなる、今日この頃。
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by rinnken1228 | 2007-09-29 13:39 | は○しケンイチ的こころ

死刑を考える

台風中継って、なんで危険なところから中継するのでしょうか?
謎です。
観ているほうが怖いです。

日本にいない間、いろいろ変わったなー、などと思ってしまいます。
たった5日間だけにもかかわらず。
情報に触れないって、恐ろしいことだなぁと実感。
もちろん、自分にとってですが。


突然ではありますが。
最近、死刑制度についてよく考えます。
んー。
正確にいうなれば、それについての議論そのものをみて、「なんだかなぁ」とか思っております。
ちなみに、僕は現在の死刑制度には反対です。
でも、冤罪の可能性があるだとか、被告の人権云々ってことから、ではなくて。

死刑が犯罪抑止に効果があるんだとかないんだとか、
はたまた被告の人権がどうだとかそうしたら被害者はどうなんだとか、
そんなことは水掛け論にしかならないと思う。
そんなことばかり言っていても、議論が平行線をたどることは、目に見えているはずで。


じゃあ、なんで自分はこれに反対なのか。
死刑を実行する人間が考慮に入っていないから。
議論の中では、これについての議論はほとんど隅に追いやられているわけで。
死刑を決定する人間と、それを実行する人間はまったく違う。
執行人は、死刑囚と、はたまたその事件そのものともまったく関係がないわけで。
そんな人々が、薬物を注射するなり電気ショックのボタンを押さねばならない。
それほど非合理なことがあるだろうか?

被害者の家族なり、関係した人が死刑を執行するのであれば、話は別だと思う。
判決を下した裁判官なり、ゴーサインを出した法務大臣なりが執行するならば、まだわかる。
だけど、実際はそうではない。
現実に死刑を執行するための人がいる。
その人たちのことは、議論のなかで意識されているのだろうか?
ほとんど意識されていないように思えてならないのです。


非人間的行為をした人間には、それと同等の処罰を下してもよいって考えは、
裏を返せば
その人間に対して非人間的行為を下す人間がいなければならない
ってことと表裏一体なわけですよ。
その役が回ってきても、あなたはできますか?
多くの人が嫌がるでしょうね、そんな仕事は。
だけどこの制度がある以上、そういう役回りの人はいなきゃいけない。当然ながら。

短絡的かもしれないけれど、
公開されずに死刑が執行されることにもしかしたら問題があるのかもしれません。
某北朝鮮みたいに、公開処刑にしちゃえばいい。
某フセイン元大統領みたいに、世界中にその様子を発信しちゃえばいい。
日本でも同様のことをしているわけだから。
われわれに、彼らのことを「非道だ」とかいう資格は、まったくない。
むしろ彼らのほうが自然だと思う。

人知れず執行しようとするから、議論がおかしくなる。
だったら市中引き回しの上磔獄門とかしたほうがいいと思うんだけどな。
まー、
視姦されて濡れるタイプ
には最高のシチュエーションなんじゃないですかね。


橋下弁護士の言い分を聞いてて、なんだかなぁと考えてしまいますた。
これから国立に帰ります。
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by rinnken1228 | 2007-09-07 16:43 | は○しケンイチ的こころ

結果を出せよ。

麦わーらー帽子はー もう消ーえーたーーー

先日、麦わら帽子に短パン白シャツ、下はサンダルで歩いていたら、

オレンジレンジですか?

などと返答に非常に困る質問をされた、どうも僕です。
みなさまこんにちは。
暑いです。
誰だ、冷夏になるなどと言い出したのは。
良純か?


世間はもう夏休みだそうです。

夏休み?なにそれ、おいしいの?

ってくらい、ここんとこ休みというものがありません。
まぁ、自分がまいた種だから仕方ないといえば仕方がないのですが。
でも、そろそろ休みがほしい、そんな心境。
なんだかんだで10連勤とか、してますからね。


さっきまでゼミの話し合いでした。
ゼミ論のほうは本格的に編集作業に突入しつつあります。
その前に、第2稿を完成させなければいかんのですが。
ただ、添削がこないという、この笑えない状況・・・
どーしましょ。
書けねぇよ。

これからW塾なので、先に抜けさせてもらいました。

更新してるヒマあったら、演○レZEROの準備せぇや

とか

話し合い参加しろや

などともっともなご指摘を受けそうですが、自分の時間を過ごさせていただきますよ、ここは。


演○レZEROという企画はですね。
僕が第2弾も担当することになってしまいまして。
5文型に続いて、関係詞だとさ。
それについては物申したいことたくさんありますが。
発案者は僕なので、何も言いません、今は。
やるからには成功させる、って豪語しちゃいましたからね。
終わってから言いたいこと言わせていただくことにします。
ま、自分がステップアップするチャンスでもあるし。

気づけばW塾も4年目・・・
振り返ってみると、あまり結果を残していないような気がします。
やるからには、もっと目に見える形での結果を残してみたい。
自分のいた足跡を残してみたい。
やはりそう思っているわけで。
もちろん、そんな手柄を焦ったばかりになんちゃら・・・なんてことは嫌ですが。

でも、今まで僕を指導してくれた方に対して胸を張れるようなことは何もしてませんから・・・
この前も言われちゃいました。
さっさと結果を残せ
とね。
やるしかないね。

そう考えると、ダルビッシュはすごいと思う。
付き合って3ヶ月で、妊娠3ヶ月ってのも、
どんだけ計画的なんだよ
って思っちゃいましたが。
でも、ちゃんと本業では結果を出している選手なんだから、文句は言えないわな。


あー、やだもう。
口だけだわ。ほんと。
でも、やるしかないなー。
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by rinnken1228 | 2007-08-09 14:17 | は○しケンイチ的こころ

外で何かが起こっても、それは夢の世界の出来事のようで

♪ずっと夢を見て 安心してた僕は
 Day Dream Believer そんで 彼女はクイーン♪

みなさまこんばんみ。
走りたいです。
とにかく走りたい。
体動かしたいです。
なんだかウズウズしてしまいます。
フラストレーションみたいのが、どうしても溜まってしまいます。
あと、1年ちょっとくらいの我慢でしょうか。

地震がすごかったらしいですね。
東京のほうも揺れたとか揺れてないとかいろいろ聞きますが、少なくとも僕は気づきませんでした。
昨日の夜とか、テレビつけたらそればっかでしたからね。
いい加減にしてくれよとか思ったのは僕だけでしょうか。
ああいう番組をみればみるほど、他人事みたいに見えてしまう。
現実味が湧かないんだよな~。
いや、湧かないようにさせているような感じがする。
テレビという媒介自体が。

事故や災害が起きたら、いち早く報道がかけつけるけれど。
まるでハイエナみたいに情報のありかにあつまる。
見てるだけで虫唾が走るけれど。
どうせ少し時間が経ったらいなくなるんでしょう?

「ここは地震で大変なことになっています。被災者の方は大変な生活を送っている、そんな現場です。
自分たちはもうじき帰るけどね。
なんだか、暗にそういう風に言っているような気がする。
口には出さないまでも、心の底で思っているのだろう。
でなきゃ、あんなに取材合戦を繰り広げないと思う。

報道に対して、命をかけてないのだろう。
命をかけていれば、あんな報道はしないはずだ。
なぜならば、命をかけていれば、他人の痛みがわかるから。
他人の苦しみを共有できずに、世間に垂れ流すような人間に、ロクなやつはいないと思う。
要するに、取材される側の気持ちをわかっていないのだろう。
いや、わかっていたとしても、そんなのどうでもいいのだろう。
もっといえば、その痛みさえもが、商品なのだろう、彼らにとっては。

だからかき回すだけかき回して、用無しになればポイですか。
それじゃあ、ヤリ捨てる男と何ら変わらないと思う。

一之瀬泰造とか、澤田教一とか、ロバート・キャパみたいに、報道に命をかけられる人間はいないのか。
なにが報道者の身の安全だい。
悲惨な現場を伝えるのだ。
そこにいる人と寝食を共にしなければ、伝わるものも伝わるまい。
結局、どこへいっても自分の身がかわいいのだろう。
そんな人間に、報道の資格はないと思うけれど。

そう考えると、平和だな~、って思う。
そして、そういう人間って、人間の風上にも置けないと思う。
それがまかり通ってるんだからな。
いやな世界だ、と思う。

世界中の距離が近づいた時代になったというけれど。
どこが近づいたのだろう?
むしろ、遠くなった気がする。
知りすぎたから、簡単に知ることができるから、いけないのか。
そうだとするならば・・・生きづらい世界になった、と思う。
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by rinnken1228 | 2007-07-18 01:56 | は○しケンイチ的こころ

快楽論

みなさまこんにちは。
ただいま、大学の情報棟におります。
計算機概論?

切ったよばかやろう

いやね、先週出たんだけどさ。
最終レポート課題みたんだけどさ。
こんなもん、わかるわけねーだろ的な課題でして。
いまさらながら、
JAVAってなんですか?
ってゆーレベルです。
GABAとどう違うのか説明していただきたい。
頑張って冬に微積を取ることにします。
はい。

というわけで、完全に僕の留年は決定いたしました。
まぁ、元から今年で卒業する気はあまりなかったんだけどさ。
いちお、秋採用の準備とかしてたんですけどね。
いちお。
本当にいちお。
とか言いつつ、旅行の計画ばかり立ててたわけですが。
ええ。


さて。
あれからもうすぐ1年が経ちます。
早いものです。
今年は仙台に行く気はありません。
時間がないから、ってのもあるけれど、もう卒業したいから。
うん。
清い思い出としてしまってしまおうかと。
はい。
おめーは汚れてるだろとか、言わない、そこ。


そういえば。
日経プラス1に面白い記事が載ってました。
妻に言われてムッとした一言
ま、自分にはほとんど結婚願望がないのでよくわかりませんが。
所詮、結婚なんて妥協の産物なんだと思う。
だから、正直結婚なんかしたくない。
かったるいしね。
何でしたがるのか、理解に苦しむわけで。

特定の女性とずっと一緒に住むなんて、僕はおそらくできないでしょうね。
飽きるのが早いですから。
熱しやすく、冷めやすい。そんな性格。
ま、それくらい好きになれる女性にいまだめぐり合っていないからかもしれませんがね。
とゆうわけで、出会いをおくれ、出会いを。

以前、とある人から
「君は恋愛をしたことがないだろう」
と言われたことがありまして。
恋はしたとしても、その人を「愛して」はいないから、本当の恋愛をしているとは言えないんだとさ。
何をおっしゃい、とそのときは思ったのですが。
今になって考えてみると、なるほどとおもうわけで。

たしかに、
体と体がぶつかり合えば、そこで終わり
みたいな感覚があるわけで。
そこには愛情とかそういった情はなくて、性欲しかないのも事実。
けれど、それ以外の方法を僕は知らないのです。
でも、それが悪いことだとは思わないし、悪いことだと決めつけることもできないと思う。
どっかにデートにでも行けばいいのか。
夜中、ずっと電話口で愛をささやきあってればいいのか。
それとも何かサプライズ的なプレゼントでも用意すればいいのか。

それが愛情なのか。
だとしたら、「愛」ってなんだ?
その場限りの精神的な悦びが「愛」なのか。
もしそうならば、それほど陳腐な感情はないだろう。
それよりも肉体的な快楽のほうが、よっぽど高貴なものに思えてくる。

肉体は精神を凌駕するのだから。


そういう意味では、誰かを「愛している」という感覚を僕は知らないのかもしれません。
でも、もしかしたら知らなくてもいいのかもしれない、とも思ったりする。
なぜかって?
「愛する」という感覚は常に一方通行だから。
そして、重荷になるから。
それほど面倒なことはないだろう。
ならば、その場限りの関係を結んだほうが、合理的な気がします。
ドライな付き合い方を演じるほうが、傷を負うこともないと思うわけで。
自分としても、歪んでるんだろうな~とは思いますがね。
思っちゃうんだから、しょうがないじゃないか。
とかえなり風に言ってみる。

とかなんとか、そんなことばかり考えている僕は、結婚はできそうにもないんでしょうね。
とか言いつつ、出会いがほしいといつも言ってるこの自己矛盾・・・
はぁ・・・
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by rinnken1228 | 2007-07-12 11:30 | は○しケンイチ的こころ