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母親がパチンコ行ってる間に火事が起きたことを伝える意味と批判する意味

子供を置いてパチンコ行ったって、べつにいいんじゃね?とか思うんですがね。

Excite エキサイト : 社会ニュース
近くで子供3人が死んだ火事があったのですが、そこの母親が子供を置いてパチンコに行ってたらしく、それがどうやら非難の的になっているようです。

僕はパチンコをあまりしたことがないのでよくわかりませんが、パチンコに行ったからといって育児放棄になるとは到底思えないし、もちろんパチンコが絶対必要なものだとは言わないけれど、悪だとは思えません。
悪だと思えば、当人が行かなければいいだけのものだと思いますし。
ただし、その価値観を他人の行動にまで当てはめるのはいかがなものかと思います。
麻生さん風に言えば。

じゃあ仮に、市役所に行ってる間になったとしたらどうなのか。
近くのスーパーに買い物に行ってたとしたらどうなのか。
この論理だと、市役所なりスーパーなりが批判の対象になりますよね。
だけど、あら不思議、この場合はおそらく批判がなされない。
母親の義務の放棄にはつながらないらしい。

報道などを見ていると、その論拠としては、まずひとつに外出時間の長さという問題があるようです。
確かに、買い物なんかに比べてパチンコのほうが長引く危険性は高い。
けれど、子供を置いて外出した時点で、火事が起こるリスクは格段に上がるわけですから、どこに行こうと同じじゃね?という反論はできるわけです。

次に、子供を置いて外出した行為そのものに対する批判があるようです。
ただ、ちょっと待て、と。
パチンコ屋にもいまは託児所を設けているところが多いらしいのですが、それは置いておくとして。
仮に仕事をしていたとしたら、そこは育児環境がしっかりしているという保証があるのかどうか。
おそらくないでしょうね。
託児施設を日本の中でどれくらいの企業が託児所を設けているのかは、資料を持っていないので知りませんが、感覚的にそこまでないでしょ、と思ってしまいます。
じゃあ、民間に委託すればいいじゃないか。
でも、入園制限している託児所・保育園ばかりです。
毎回子供を連れて外出しなきゃいけない、なんていわれたら、世のお母様方はまったく羽なんて伸ばせやしませんよ。

ということは、ヘタすりゃ、母親である人は、絶対に子供から目を離してはいけないって話になる。
もっと踏み込んでしまうと、主婦という存在を絶対的に求めているってことになる。
この批判だと。
ちょっと飛躍しますが。
主婦になりたい/なりたくないってのは女性個人の選択肢の問題なので、別になんとも思いませんが、社会そのものが主婦を絶対的に求めるという論調に対しては、なかなか違和感を感じてしまいます。
特に女性の社会進出が叫ばれている時代にもかかわらず、なぜ逆のベクトルへと話が進んでいくのか。
ならば、かかるリスクをヘッジ下上で自分の時間(仕事でも遊びでも)を作る方法について議論したほうが生産的だと思うんだけどな。
そう考えるのは僕だけでしょうか。

続いてパチンコという娯楽に対する批判があるようです。
ここまでくると、頭弱いんじゃないかと思ってします。
そういうことを言う人たちには、どこか「娯楽=悪」みたいな方程式というか構図が成り立っているようです。
じゃあ、その人たちには娯楽はないのか。
そりゃ、個々に聞いていかなきゃいけないでしょうが、それは嘘だろうね。
んで、おそらくこう言われるでしょう。
「健全な」娯楽と「健全でない」娯楽にわかれると。
どうやらパチンコは後者の部類に入るらしい。

なるほど。
では、「健全」かどうかを決めるのは、誰なんでしょうかね?
どっかに神の視座でもお持ちになってる方がいて、そこで判断してるんでしょうか?
それならば納得ですが、おそらく違うでしょうね。
どっかでモクモクと湧き上がった論理ないし価値観でしかなくて、結局そこに縛られた議論になる。
価値観に縛られない議論なんてのはそもそもできませんが、だからといって単純な善悪の二分法でグルーピングしていくというやり口には抵抗を覚えます。

誰だったか忘れましたが、趣味によって社会階層がわかるって話を聞いたことがあります。
ソーシャル・キャピタルの話ね。
趣味と娯楽を一緒にしていいかどうかは議論の余地があるでしょうが、パチンコをする階層は、決して高い階層ではないと思います。
積もり積もれば大変なことになりますが、少ない出費で楽しめる娯楽ですからね。
だから所得の少ない人でも集まりやすい素地みたいなものはあるんだと思います。
裏を返せば、「健全でない」娯楽と批判する根底には、そういった階層に対する差別というか、侮蔑みたいなものを感じてなりません。
どんな立場の人間だって遊びたいという欲求はあるわけですから、そこから目を背けることはいかがなものかと。
見せかけのストイシズムみたいなものは、あまり好きではありません。
やるなら根本からやってもらいたい。


事件報道だけからしか判断できませんが、その中での伝えられ方ないし反応からは、こーんな印象を受けてしまいます。
じゃあ、今度はもう少し根本の部分を見てみると、そもそも報道する必要があったのかどうか、って話になってくると思います。
伝える側の論理としては、情報を欲してる人間がいるからだとか、報道の自由だとかって答えが返ってくることが予想されますが。
前者については、それは伝えた結果であってのことであって、その情報自体を本当に視聴者が欲しがっていたのかについては、疑問が残ります。
視聴者としては、あるから飛びついてみた、という部分はあると思うので。

後者については、完全に伝家の宝刀・錦の御旗みたいになっていると思います。
まるで隠れ蓑ですが、人間のプライバシーに勝手に踏み込んで行っていいのか、という疑問は常々持っています。
悪事を働いたのであればともかく(これが悪事に該当するのかどうかも微妙だけど)、微妙なラインの内容にまで踏み込んでしまっても本当にいいのか。
伝えられないことによって守られていたはずのものが、伝えられたことによって踏み荒らされてしまうんじゃないのか。
そしてメディアにはそういう権利があるのか。
メディアの守備範囲が拡大しつつある今だからこそ、考えなきゃいけないことだと思いますが。
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by rinnken1228 | 2009-01-09 17:30 | は○しケンイチ的こころ