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こごえた両手に息をふきかけてしばれた体をあたためて

こんばんはです。料金未払いのため、ネットに繋げなくなった今日この頃でございます。(涙)ただ今、国立駅前のPC房(ネットカフェ、ね)より更新中・・・(笑)3ヶ月未納はいたいね。2万は痛すぎる!!そして、8月分の揚州の給料、8千円って・・・なんすか、それ?

つい先日、五木寛之の「四季・波留子(上)(下)」を読み終えました。マンガ以外の本を読むのが遅い僕にしては、脅威のスピードだったと思われ。それだけこの本には思い入れがある、ってことなのかも知らん。
それはさておき・・・この小説の最後に、金子貞生っていう老詩人が自分の命を絶つシーンがあるんだけど、彼の死生観に妙に共感してしまうところがあったので、書いてみます。

男と女がいて、人間は生まれてきます。だけどそれは決して自分の意思ではないんだよね。まぁ、言葉は悪いけど、男と女が××やった副産物なわけです。それを人は「愛の結晶」と呼ぶけれど。結局は父親と母親の意思から子供は産まれるのであり(そうでない場合も多々あるけれど)、それについては子供の意思はないわけです。だから自分の人生の終わりくらい、自分の意思で果ててもいいんじゃないか、というのがその老詩人の考え方。

僕は生物はみな死ぬために生きているんだ、って思っています。後ろ向きな考え方だ、って言われるのは重々承知しておりますが。だけどそうでしょ?人は母親の胎内から出た後は、その消滅へと歩みを進めていくわけですわ。その速さは人それぞれだけど。赤ちゃんがオギャアオギャアと産声をあげるのは、生の喜びを実感しているからではなく、産まれてきたことに対する後悔からくるのではないかと、本気で思います。そんなこと言ったら、世のお母様方に怒られそうですが。(笑)だって、産まれてきたら死ぬんだもの。だけど産まれてこなかったならば、死なない。
だからどんな生き方をしても、結局は死ぬわけですわ。その定説だけはどうあがいても覆せない。徐福だって不老不死の薬なぞ見つけられなかったわけですから。そう考えてみれば、どんな立場の人間であれ、死んだときは同じなんだよね。どんなに権威のある人であろうと、そうでなかろうと、死んだらこの地球の60億の構成員の頭数から1引かれるだけ・・・単純だけど。

この小説を読んで、そして自転車で1人山登りをやってみて、そんなことを考えるようになりました。人間の小ささというか・・・結局道具がないと、道具に頼らないと生きていけないんだろうね・・・うん。それに比べて自然の大きさはなんだ、と・・・だから人間はこんなに大きなコミュニティを作ったのではないかと・・・
別にそのコミュニティの中でぬくぬくと生きていく気はさらさらないけれど、そうする以上は自分の意思を持って生きていかねばならんのだろうなぁ。自分にはそういう生き方が会っているような気がします。なんとなく・・うん、なんとなく・・・・
by rinnken1228 | 2005-09-16 20:07 | は○しケンイチ的こころ
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