人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< スープカレーの偶然 木更津でキャッツと叫んだ件について >>

社会学とは何か?

みなさまこんにちは。

1食で米1合を食べると太るということに、今さらながら気付いた今日この頃であります。
いささか手遅れの感が御座いますが、今からでも遅くないと減量に取り組む所存であります。

つーか・・・
こんな体に誰がした?

・・・自分だよ・・・


昼過ぎから新宿に向かいます。
延ばし延ばしにしてきたフィールドワーク、再開します。
・・・天気悪いのにね。
GWは、もう今日しかありませんからね。

自分のフィールドワークはイチからのリ・スタート。
まずは、外観を写真に収めて、パッチワークみたいに繋げていこうかと思います。
そこで問題が発生したら、それはそれで考えようか、と。

嗚呼、なんとも素晴らしきこの場当たり的発想。

ついでに、久々にUniversal Languageにでも行こうかと。
買い物してないからね~。
金欠だから、何も買えないけどさ・・・


さて。
もう半年くらい前でしょうか。
とある読者さん(おそらく)から、メールを頂いたことがありまして。
このブログに自分のアドレスを晒した記憶などまったくないんですけどね。
なぜか身元が割れてたわけで。
それはそれで、空恐ろしい感じはあるのですが。
プライバシーとか個人情報とかに(同じか)、無頓着な方なので、そこまで気にはしてないですけどね。

その読者さん、どうやら今年が大学受験の年だそうな。
大学では社会学を勉強したいんだそうな。

で。

社会学って何を勉強するんですか?

と。

一見、本末転倒にも思えるこの質問。
意外と本質を突いていたりするわけで。
もう半年も前のことなので、どう答えたかはっきりとは覚えていませんが、
なんでもできる学問ですよ~
などと答えになっていない答えを返したような気がします。
まるで禅問答のようですが、そう思っていたのだから仕方ないわけで。


その時はそれ以上何も深く考えることもなかったのですが、今さらながら社会学ってなんだ?って考えるようになりました。

じゃあ。
社会学ってなんだ・・・?

Wikipediaでは、社会学はこのように説明されています。

社会学(しゃかいがく)とは、社会現象の実態や、現象の起こるメカニズムを解明するための学問である。社会的な文脈における、人間、及びその集団や、人と人との関係、さらには、より大規模な社会の構造を研究する学問ということができる。あるいは、思想史的に言えば、「同時代(史)を把握する認識・コンセプト」を作り出そうとする学問である。

要するに、社会で起こっている事象それぞれをターゲットに、分析・考察を深めていく、といったものでしょうか。
結果的に人間同士の相関やら社会構造なんかが研究対象となる、と解釈できるような気がします。

(※あくまでも、これは個人的な解釈に終始します※)

この、人間同士の相関と社会構造ってのがネックになってくるわけで。
人間の集合体として社会が成立する以上、そこで起きる全ての事象が社会学の研究対象となる。
ヘタをすれば、経済だって法律だって、はたまた経営であっても、社会学の研究領域になり得る。
僕の大学でも、法学部が社会学部から分離独立した歴史があることや、組織論が社会学部のゼミであることからもそれらは説明できると思います。

だからこそ、なんでも勉強できる学問、と答えたのです。
そしてその答え方が、間違っているとも思えないのが正直なところで。


しかし。
僕の中でもしっくりとこないのも事実。
自分自身、社会学という学問が理解できていないのです。

否。
落とし所が掴めていないのです。

社会学とは、いうなれば多様な学問と言えるでしょう。
なんでもある、なんでも研究できる・・・
まるでビックリ箱にでも手を突っ込むような学問です。
ごった煮みたいな学問かもしれません。
社会そのものが、ごった煮みたいなものですからね。

だから、社会学が扱う領域は広い。
ジェンダー、労働、人種、グローバリゼーション、組織論、市民運動、メディア、犯罪、医療、カルチュラル・スタディーズ・・・
僕のゼミの都市社会学だってそう。


ですが。
本当に多様なのでしょうか?
本当にビックリ箱なのでしょうか?
本当にごった煮なのでしょうか?

以前、ゼミでの議論で、「多様性」が話題になったことがあります。
「多様性」という箱の蓋を外したら、何が出てくるんだろう?
その中は本当にカオスなのか?
何本もの紐が、ゴチャゴチャに絡み合っている世界なのか。

それもひとつの解釈かもしれません。
でも、違うように思えてきてならないのです、最近は。(←当地方を使ってみた

蓋を外してみたら、
実はなにもなかったんじゃないか?
って思えてならないのです。

秩序だっているわけでもない、何もない、「無」の世界。
それなんじゃないか、って。


ただ単に、社会での事象に対して、僕たちが勝手に名前をつけて、そしてまた勝手に評価している。
それだけのことではないか、と・・・
何もない世界にもっともらしく何かを肉付けしていく・・・

よく解釈すれば、
「今まで見えなかったものに名前をつけることで可視化させる」
と言えるでしょう。

ですが。
果たしてそうか。

見えないならば、見えなくていいじゃないか。
と思うことは間違っているのでしょうか?
しかし、「可視化させること」こそが社会学の本質なのかもしれないのです。
解釈の方法は人それぞれですが。

もし、何もない世界に僕たちが勝手に肉付けをしているだけなのであれば、それらは砂上の楼閣である危険性が大いにある。
しかし、社会学はその砂上の楼閣を築く学問なのかもしれません。
だとしたら、その危険性をはっきりと認識していないといけないのかもしれませんね。


これから「社会学って何?」って聞かれたら何と答えるか。

「見えないものに名前をつける学問だよ」

そう答えるようにしたいと思います。
by rinnken1228 | 2007-05-06 11:48 | は○しケンイチ的こころ
<< スープカレーの偶然 木更津でキャッツと叫んだ件について >>