原研哉「白」を読んだ。
来年からは本なんて読む時間はあまりないんだろうから、今のうち読まないとなぁ、とか思いつつも、時間があれば寝てしまう自分がいる。 言うだけじゃ変わらないとは分かっていても、重い腰はそう簡単には上がらない。 年をとるとは皮肉なものだ、などと思ったりする。 別にレビューってほどでもないが、感じたことをつらつらと。 著者は言う。 「白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。」と。 なるほど、と思う。 そもそも視覚というものは絶対的なものではないわけだから、そこから識別される色も、絶対的な物差しがあるわけではない。 そもそも人間が識別できる色なんてのは数が限られてるわけだから、紫外線とか赤外線とか、人間が識別できない色を見ることができる生物とは、明らかに映っている風景も違うだろう。 だからこそ、白に限らず、赤や紫と感じる感受性が人間にはあるのだと思う。 そして著者は言う。 「白は生命の周辺にある。」と。 「白は時に『空白』を意味する。」と。 なるほど、と思う。 だが、はて?とも思う。 確かに、生命は白の周辺から生まれる。 卵は白い。 よく考えてみれば母乳も白い。 よくよく考えれば、精液だって白い。 言われてみれば、生命の誕生と白は密接に関連しているようだ。 死の周辺にも白は存在している。 まず骨は白い。 死装束だって、白かった。 死後の世界のイメージだって、白にあふれている。 文字通り、白は空白を意味するだろう。 白地のキャンバスに絵を描くし、書道の半紙も白い。 空白の上に、様々なものを蓄積させていく。 だからこそ、その蓄積の土台には、「白」が存在する。 しかし、はて?と思う。 空白とは、無色透明のものではないのか。 何も「無い」からこそ、空白ではないのか? だからこそ、何も生み出さないのである。 一方、白という色を有している以上、そこには「もの」が存在する。 透明では、ない。 「もの」が存在する以上、そこに色が積み重ねられていく。 逆に透明な世界は色づけもされない。 だから、死後の世界も透明ではないのか。 空白の世界とは、白ではないのではないか。 透明の世界、何も無いからこそ、色もつかない。 白はただ、存在を示すだけの色、そうではないのか。
by rinnken1228
| 2008-08-02 17:40
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