2005年 09月 27日 ( 2 )

結婚論

こんばんはです。体にガタが来ているのでは、とよく感じる今日この頃・・・やはりもう老化現象が始まっているのでしょうか?(笑)やはりそう長くは生きられないタイプらしい。なーんてね。てなわけで、今のうちにやれることはやってしまおう、なんて思ったり思わなかったり・・・

最近、自分の恋愛観、というよりも結婚観が少しずつわかってきたような気がします。少しずつ自己分析を加えたりすることで。そういう意味では、このブログも結構役に立ってるんだなぁ。(笑)自転車の旅よりも簡単に自分探しができたりして・・・

僕自身は結婚願望というものが皆無に等しいんです、以前書いたように。ほぼゼロ。その理由は一重に、「頼られたくない、養いたくない」という気持ちから来るような気がします。こんなこと書くと、「男として頼りない、男らしくない」だとか色々言われそうだけど、そう言われれば言われるほど、「男らしさって何?」って気持ちになるわけです。「男らしさ」が指し示すものとしていくつもあるのだろうけど、その言葉で全てを片付けてしまっているような気がするんですよね、どこかに・・・そしてその言葉から、男女の関係が対等ではなくて男性優位の意識が生まれてくるような気がするんです。そう思っていないとしても、無意識のうちに・・・

もちろんそれを望んでいる人も多いと思います。僕の両親なんてそんな典型の人でしたし。だけどそういう意識がある以上、男女の関係が対等の関係の上に成り立つことはないと思うんです。そして、そのようにしている1番の原因を僕は”結婚”だと考える。今は少しずつ変わりつつあるけれど、女性は「結婚→寿退社」なんてのが通例だった。主婦として家庭に入るわけです。つまり旦那である男性に頼って生きていく、ってことですよね。確かに、主婦労働なる言葉もあるけれど、生産性の低い(というかほぼない)労働と言っても過言ではない。
社会人である以上、僕は誰にも頼らずに生きていくことがベストだと思う。助け合って生きていく、というのは理想論かなと。だから例え結婚をしたとしても、共働きという選択肢を選ぶべきだと思う。そうしないと、社会で生きてはいけないから。夫に先立たれた未亡人が、これからどうしていいかわからないなんて嘆く、それが最たる例でしょう。普通に働いているのならば、そのような心配は全く(とまでは言わないけれど・・・)ないはずです。社会の中で働いているわけだから。
確か主婦なんて言葉は文明開化後に生まれた、なんて話を聞いたこともあるから、それをぶっ壊すこともそう難しいことではないかもしれません。

そういう意味で、僕は結婚して「養ってあげる」なんて言葉は好きではないのです。むしろ2本の足でしっかりと自立した、対等の関係であってほしい。だから昼ドラでやってる「契約結婚」なんてのは、ちょっと共感するところもあるのです。あんなドロドロっぷりはいらないけれど。

まー、こんな考え、社会に出たら180度変わってしまうかもしれません。(笑)だけど今思っていることを吐露してみました。自分でもこういう考え方は周りからは受け入れられにくいとは思うけれど・・・
ちなみにそんなこと言ってる僕は、仮に結婚したら家庭に入る気マンマンでございます。(笑)自分のやりたいことをやるに困らない金だけを自分で稼いで。そもそも仕事とはそういうもんだしね。

まとまってきたら、また書こうと思います~。
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by rinnken1228 | 2005-09-27 17:02 | は○しケンイチ的こころ

アリtoキリギリス

おはようございます。朝早くから情報棟にて更新中です。ネットの復旧は今週末になるそうです、昨日電話したら。めっちゃ鼻であしらったような対応されました。「金払ってないアンタが悪いんでしょ」的な・・・こう感じたのは自分の被害妄想からでしょうか?いや、そうでないはず!(笑)

先日「四季・布由子」を読み終えました。高校の頃以来だから、2~3年ぶり、といったところでしょうか。前回とはかなり違った感想を持ちました☆以前読んだときは、正直「こんな女の人は・・・ないなぁ」なんて思う自分がいたんだよね。それは女性になれていない自分がいた、ってのもあるし、自分の見識が浅かった、ってのもあると思う。まぁ、今もたいしたことないですが・・・(笑)だけどこの2~3年間の間に、自分もそれなりの経験を積んできたわけだし、その間にもしかしたら価値観がグルリと方向転換してしまったのかもしれません。だからここに出てくる4人の主人公(波留子・奈津子・亜紀子・布由子の4姉妹)それぞれの価値観を理解できるようになってきたわけです。

その価値観について触れるのは、また後日ということで(かなりジェンダー的なものがあると思われ)、僕が一番印象に残ったのは布由子がCMの撮影でミラノに行ったときに食事をするときのシーン。
その中で日本をはじめ、世界でなぜ”イタリア的なもの”が受け入れられるのか、について議論を交わす場面があるんです。僕は全くイタリアに興味がないんだけど(今はアジアですよ)、イタリア的なものとは”キリギリスの美学”ではないか?と言うんです。よく考えると納得がいくんですよね。例えば自動車で比較してみても、アルファ・ロメオやフェラーリはとても華やかで人気があるけれど、1年のほとんどを車庫で過ごすといいます。要するにそれほど故障しやすいってこと。だけどドイツのBMWやスウェーデンのボルボなんかは、10年以上乗り回す人も少なくない。でもフェラーリのような華やかさは持っていない。どちらかと言うと、「武骨」という言葉が似合うのではなかろうか・・・?確かに自動車を使う側として、1年の半分以上を修理に出すような車ははっきり言って使い物にはなりません。けれど、人間は他の機械と違ったものを自動車に求めているような気もするんです。だからGTRで真夜中の首都高を走る走り屋(岡部の未来像・・・?)もいる。人は自動車に対して生活の道具として使うこと以外の何かを求めているのでしょう。それをイタリア車は持っている・・・おそらく、何を第一義に考えるか、ってことなんだと思います。華やかさなのか?それとも耐久性なのか・・・イタリアの精神はまずそこに華やかさを求めたのだと。

そこが”イタリア的”なものであり、”キリギリスの美学”といってるんだと思います。それを人生に当てはめて。もちろん、”アリの美学”を否定しているわけじゃないけれど、ずっとコツコツと働いていることだけが人間ではない。そんな堅実な人生には魅力を感じない、ってわけです。ならば短い人生でも、美しく燃える人生の方がいいじゃないか、ってのがキリギリスの美学。”細く長く”よりも”太く短く”生きるってことなのかもしれません。

今は”キリギリスの美学”のような生き方に惹かれる自分がいます。特に堅実な生活を送ろうという考えはないし、そんなに人生甘いものでもないと思う。ならば自分が好きなことをやろうじゃないか、と。その日1日を光り輝くように生きたいんです、うん。
”アリの美学”ってのはどことなく日本的な感じがします。そこに物足りなさを感じてしまう自分も、それはそれで問題なのかも・・・(苦笑)

あなたはアリ派?キリギリス派?
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by rinnken1228 | 2005-09-27 09:21 | は○しケンイチ的こころ